第352号:AIは採用活動を変えるか?

「忖度」と「AI」は、今年の流行語の東西横綱になるかもしれませんね。AIが発展すると「なくなる職業」というのもマスコミを賑わしましたが、果たして採用担当者の仕事はAIによってどのような影響を受けるのでしょう?

 

採用活動は、大きく分けて大規模母集団形成型(不採用活動)とスカウト型(ダイレクトリクルーティング)がありますが、まずAIが活用しやすいのは前者です。マスメディアを活用して形成した集団を選考活動で絞り込んでいくのは膨大な金銭&時間コストを伴います。特に初期段階での絞り込みは労働集約的作業ですから絶大な効果を出せるでしょう。

 

先日、ソフトバンク社がAIをエントリーシートの評価に活用するというニュースが出てきました。このように単純な正解/不正解の判断ではなく、経験値と能力との複雑な相関関係を把握する作業はまさにAIの強みが発揮できる分野です。勿論、最初は精度が低いかもしれませんが、こうしたデータを積み重ねることによって確実に進化するのがAIです。大学入試改革でも小論文の採点にAIの導入が検討されているのと同じですね。

 

一方のダイレクトリクルーティングでAIがどのように活用できるかは少し難しいですが、何処の柳の下に行けば二匹目のドジョウが居るかの確率を高めることに使えます。自社の求める人材がどんな大学・学部・ゼミに所属してどんな授業を履修しているのか、どんな部活・サークル・コミュニティに属しているのか、どんなバイト・ボランティア・イベントを経験しているのかを探し出すことです。

 

この場合では先述のケースと異なり、母集団形成過程において入手できる応募者情報ではなく、社外に存在しているビッグデータが必要になります。AIはどんなに優秀でも処理すべきデータがなければ無力です。そのため、今後はビッグデータを持っている思わぬ産業が就職情報産業に絡んでくる可能性があります。例えば、JRやJTB等は膨大な旅行者情報をもっておりますが、そのデータを活用して市場調査サービスを提供しているように。

 

採用担当者にとって有り難いのは、大学側がそうしたデータや情報を提供してくれることです。どの授業やゼミや教員がハードで良い学生を育ててくれるのか、そうした学生はどんな企業に就職していくのか、もしこうした情報が提供されるなら、学生と社会の出会いにも可能性が広がるように思います。そしてそれは、大学の教育力向上にも資するFD活動にもなるのではないでしょうか。

 

AIは人間の仕事を奪うものとして恐れる方もおりますが、そうした新技術を使いこなす視点を持ち続ければ、個人も社会も相互に発展可能でしょう。そうしないと、AIの方がドンドン進化して、いつか本当に人間の方が消えてしまうかもしれません。相互に進化していけば、AIは人間のことを忖度してくれるようになってくれると思います。

 

▼参考URL:「ソフトバンク、新卒採用にAIを活用 ESの評価を補助」(日経新聞)

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL29HL0_Z20C17A5000000/

第351号:学生と採用担当者の認識差

ダイヤモンド・ヒューマンリソース社からは就職活動に関するビデオ(ダイヤモンド就職DVDシリーズ)がリリースされていますが、お使いになったことはありますか?私は授業でプレゼンテーション演習の教材として利用することがあります。先日、企業採用担当者の方をゲスト講師に招いて視聴したのですが、学生と採用担当者の受け止め方が真逆になりました。

 

今回使ったのは2種類の模擬面接の映像ですが、まず学生に何も説明せずに視聴後、グループディスカッションをさせ「皆さんが採用担当者ならこの応募者をどう評価するか」を発表させます。その後、企業採用担当者と私がそれぞれの評価をコメントし、解説します。

 

その結果、大変面白いことに、ほぼ学生全員(約100名)が不合格判定をした応募者を、採用担当者と私は(条件付き)合格にしました。同様に、2本目の映像では80%の学生が合格判定した応募者を私達は不合格にしました。あまりの認識差に、採用担当者の方もビックリしておりました。学生と採用担当者の認識は以下のような点で、対照的です。

 

▼学生

・面接は完璧でなくてはならない。

・話し方(印象)で合否を判断する。

・悪い点を中心に見る(あら探し)。

・即戦力を求めている(短期の視点)。

▼採用担当者

・面接で緊張するのは当然なので細かな失敗は気にしない。

・話す内容(論理の組み立て)で判断する。

・長所短所を見て、採用の可能性を探る。

・即戦力より成長能力を見ている(長期の視点)。

 

総じて、学生は「できあがった人」を求めているのに対し、採用担当者は「可能性のある人」を求めています。それも、学生の言う「できあがった」は人間性ではなく面接テクニックです。

 

どうしてこんなに学生と採用担当者の認識差があるのでしょう?学生からはいくつか意見が出ましたが、「先輩達の話しからは恐怖感しか与えられなかった。」というのは考えさせられました。大学でもよく内定者の就職体験談が開催されますが、「こう言って内定した!」「こう言ったらオチル」と熱く語るのを聴く度に、上記のような採用担当者との認識差を感じます。

 

いろいろなことが推測されますが、それは学生への宿題として後日プレゼンテーションさせることにしました。さて、この認識差の問題、原因、対策は明らかになるでしょうか?しっかり分析して論理的に説明できるかでどうかで、私の授業の単位が取れるかどうかが決まります。

 

第350号:レポート提出とエントリーシートの共通点

6月の採用選考開始を前に、学生からのエントリーシート(ES)を見て欲しいという相談が相変わらず多いです。たまたま授業でレポート課題を出したのですが、私の場合、採点基準はES選考の視点と同じです。今回のレポートをみて、このままでは苦労する学生が多いだろうなあと思わされました。

採用担当者はよく「自分の頭で考える人が欲しい」と言います。社会では正解のない(または正解が無数にある)問題に取り組むわけですから、そうした状況に一人で判断して対応できる能力が求められます。

一方、用意された環境(正解が決まっている)でしか考えたことのない学生は、そうした問題にぶつかると戸惑ったり自分本位の考え方をしたりします。例えば以下の様なものです。

1.回答文字数を決める

レポートの文字数の指定が「1000字以内」とされた場合、皆さんなら何文字書きますか?私の授業で多かったのは850~950字位ですが、700字位のものも意外とありました。勿論、指定内なのでどちらも要件を満たしていますが、ここで学生に自分の頭で考えて欲しいと思います。レポートでもESでも出題者には「この位は書いて欲しいな」という気持ちがあります。それが指定されている文字数です。つまり、700字しか書かない学生は、100点満点の問題を自ら70点満点にしているのです。

これは、企業のセミナーで学生にアンケートを書いて貰う場合も同じです。アンケートには文字数の指定は殆どありませんが、指定された記入スペースがあります。採用担当者は同じく「この位は必要だろうな」と考えながらアンケート用紙を作っています。しかし、文字数指定がないとスペースの半分も書かないという学生が結構おり、勿体ないなあと思います。

2.提出日時を決める

先日のレポートはネット経由の受け取りで、提出日だけを指定し、あえて時間の指定はしませんでした。結果、約60%の学生が締切当日提出で、90%が18時までに提出してきました。幸いなことに、相手は18時過ぎには帰ってしまうだろうと考えてくれたようです。

但し、ここでもう一歩考えて欲しいのは、締切当日には一気に提出が集中するので「先生も大変だろうな」「締切ギリギリではじっくり見て貰えないかな」という点です。教員にとって、締切数日前に届いたものはゆっくりじっくり見て何か不備があれば再提出のアドバイスも可能です。しかし、当日に届くものは到着の確認だけで精一杯で、後でまとめて処理をします。

企業のESの場合は、レポートと違って再提出を促すようなサービスはありませんが、扱い方の余裕度については同じです。なので、ホンの1日でも早く出すことをオススメします。

というわけで「自分の頭で考える」というのは、自分の都合で文字通りに受け止めることではなく、相手の状況を察して行動するということです。こういう点で学生の差は付くのです。なかなか日本文化的な視点ですが、学生にはしっかり理解して欲しいと思います。

第349号:大学教員間の評価基準の違い

最近、教え子から「良い成績をくれたのは先生だけです!」と言われることがチラホラあります。面白いことに、こういう学生の方が就活でうまく内定を取っていたりしますし、就職課にもちゃんと内定報告をくれませんか?どうも純粋なアカデミック教員と社会から大学に入った教員とには、授業方法だけではなく、評価基準にも大きな違いがあるようです。

 

私の授業は社会人のビジネスマナーの視点でみていて、遅刻・居眠り・私語・無用なスマホ厳禁等、うるさいですが、そんなことが企業訪問で役立っているのかもしれません。成績を甘く付けているつもりはありません。また授業によって採点基準は変えています。低学年では基本のビジネスマナーを、高学年では発信力を。この評価基準は、私が企業での人材育成時代の育成手法(カリキュラム)と同じで、実は採用選考基準(一次では基本を、二次では個性を、三次では・・・)とも同じです。

 

一方で、純粋アカデミック教員のモチベーションは、自分の研究テーマの方が中心で、その次は自分の研究室の学生、その次に一般講義での受講生となっているようで、一般の学生の教育や評価についてはそれほど労力をかけていない(かけられない)ようです。それに、純粋アカデミック教員は、自分のゼミ生ほど成績が甘くなる人情も働いているような気がします。私の授業でのレポートの書き方を見ていて、どう考えても単位は出せないような高学年の学生が、何故か卒論を立派に仕上げて卒業していきます(どんな卒論を書いたのか見てみたいです)。

 

大学の同僚からも「座学の成績が良かった人より、演習の成績が良かった人や部活など別の活動にエネルギーを使っていた人の方が就活の戦績は良かったです。」ということを聴きました。

 

そもそも大学と企業の求める能力には、同じ部分も異なる部分もあります。大学病院でも研究型の専門医と実戦型のERではスキルが全く違います。基礎研究を事業の中心とする医療製薬業界なら前者の評価が高いでしょうし、販売やマーケティング系の事業なら後者の方が求められるでしょう。

 

私は修士論文のテーマで「大学と企業の求める力のミスマッチ」を扱い、大学の教育メソッド改善の提言にまとめました。提言はシンプルで「アクティブラーニング」と「越境学習(留学・インターンシップ等)」の効果をうたい、授業手法の改善と学生の自主性の発揮環境をつくることです。

あちこちで実施されているアクティブラーニングは、社会の視点で見てちゃんとやれば、効果はありますよということです。逆に、指導者のファシリテーションスキルや学習者の事前知識が不十分では雑談で終わることもあります。授業評価アンケートでは、楽しい授業として人気は出るかもしれませんが、教員も学生もやった気になるだけ、ということもままあります。

 

大学を取り巻く時代も環境も変わったのに、現実を見ないでそもそも論ばかり論じ(まあ、そもそもこれが教員の性ですが)、実行プランの作成も行動もない・・・。

どっかの魚市場の引っ越しのような議論をしていてはいけません。どちらでも良いから早く動かないと現場の中小企業(中小大学)が破綻してしまいます。

第348号:似て非なる入試改革と採用改革の陰で

4月になり、新入生&新学期の授業で大学は活気づいています。今年も多くの若者が大学の門をくぐりましたが、皆様の大学では如何でしょうか?少し前の報道の大学受験者数ランキングで皆様もご覧になったでしょうが、なんと法政が全国2位になって教員である私も驚きました。その理由はやはり、最近増えている入試改革(入試方法の多様化)が大きいように思います。それは企業の採用改革と似ていて、入り口を工夫して母集団を増やすことですね。

 

企業がマスメディア採用からダイレクトリクルーティングという多様な採用活動を展開し始めたのは、大きくて(志望動機の)薄い集団より、小さくても濃い集団を狙ってのことです。応募者の指向性に合わせて受験スタイルを変えて志望動機を高めるという手法は似ていますが、企業では応募者からの受験料収入がありませんから、いたずらに規模を大きくできないのは異なるところです。

 

こうした入試改革と採用改革が同時期に行われている背景にあるのは少子化で、構造的に売り手市場が続きますから、ますます志願者に合わせた入試・採用改革は行われるでしょう。しかし、それは結局限られたパイの奪い合いに過ぎません。法政のような都市圏のメガ大学が受験者を集めて派手に取り上げられる陰で、逆に地方・郊外の小規模大学では逆に受験者・入学者の減少が起きています。そしてこのままでは、この問題(大学間学生数格差)はますます激しくなり、経営がたちいかなくなる大学も増えてくるでしょう。

 

結局、大学も企業も、次の課題は、奪い合いから育成に向かうことです。大学であれば、若者人口は減りますが、社会人・留学生を迎える施策は多くの大学で成されてきました。これをもっと本格的に進めなければなりません。しかし、社会(企業)から大学に移った教員から見ると、大学の授業は良いものが多いのですが、良さを伝える工夫はまだまだです。そもそも教員がその良さに気付いていない方が多いですし、そういったことに無関心の教員も多いです。

企業にとっても、厳選採用ではもたなくなってくるでしょう。次はそこそこの人材をできるだけ早くデキル人材に変えていく能力開発が重要になってきています。しかし、企業の多くはバブル崩壊後、採用担当者や能力開発担当者の人員削減を行ってきたので、自社で育成する技術を忘れかけている企業が増えてきています。

 

手前味噌ながら法政の田中総長もそこに気付いており、受験者増をよろこびながらも「今は拡大路線ではなく、教育の質を高める時だ」と述べています。

人類の歴史が、縄文(狩猟)文化から弥生(農耕)文化に変わっていったように、持続可能な社会にしたいなら、資源は奪うものから育てるものに変えていかなければなりません。青森県の三内丸山遺跡の発掘が進んでいますが、この遺跡の脅威の発見は縄文時代でありながら農耕もしていたことです。日本人はこうしたハイブリッドが得意なのかもしれません。そうした想いを新たに大学も企業も新年度を頑張っていきたいものです。

 

▼参考URL:「法政、なぜ関東の志願者トップ 和服総長の勝利宣言」(日経スタイル)

http://style.nikkei.com/article/DGXMZO14950530V00C17A4000000

第347号:キャリア教育と大学メディア化

3月も残り少なくなり、大学内就職セミナーもひと休みで、卒業式と入学式のシーズンですね。私事ながら私も年初に修士論文を提出し、先日修了が認められて大学卒業式に学生として出席できることになりました。研究テーマは、大学と企業のミスマッチの検証とその対策です。大学の教育改革と企業の採用改革を同時に行う提言ですが、これは大学を「メディア化」することです。

 

大学メディア論は、東京大学の社会学者である吉見教授が提言するものです。私はこの論を読んだ時、これを大学キャリア教育として応用してみようと思いつき、キャリア教育の定義を「大学と社会をつなげるもの」と決めました。それは社会の出来事を大学の各学問の知見を使って解きほぐし、広く社会に伝える役割です。その代表的な手段がビデオ教材を使った授業で、この5年間で10本の業界・企業を扱ってきました。

 

ビデオ教材そのものは就職セミナーでも使えるものですが、授業として使う場合は産業理解だけではなく、ビデオ教材を正課授業との関わりを考えさせてディスカッションをしたり、レポートを書かせたりする点です。そうした過程を経て、学生として必須の「メモを取る」「不明な点を考え討議する」「思いついたことをプレゼンテーションやレポートにまとめる」「締め切りまでに完成させる」ということを指導してきました。

 

こうした効果は、大学内就職セミナーを見ていてハッキリわかりました。上記授業を受講していた学生は、採用担当者の話しが終わって質疑応答の時間になると、真っ先に手を上げて深い質問を投げかけていました。一方で講義型の受け身の授業ばかり受けてきたと思われる学生は、セミナー中もメモをとらず聴きっぱなしで、質疑応答でも無言であったりレベルの低い質問(採用選考や待遇面に関するもの等)しか思いつきません。

 

そして今年度は更に進め、チーム分けした学生達にビデオ教材のテーマ設定から企業選択・訪問・撮影交渉まで体験させてみたところ、見事に国際航空物流企業(ANA Cargo社)の了解を取り付けて最新作を仕上げることができました。最初は上手くいくか心配しましたが杞憂でした。大任を与えられた学生には自主性がうまれ、判断力も責任力もつきました。来年度は規模を広げて多くの学生にインターンシップとして経験させ、その成果物を他大学とも提供できれば大学メディア化は更に広がると思います。

 

これまで学生に会社案内やWebを作らせる企業インターンシップは定番プログラムとしてありましたが、企画から更にメディア化、授業化まで行うものはなかったのではないかと思います。もしこうした学生発の成果物が蓄積され、大学というメディアで授業や就職セミナーで共有できれば、春の大学内説明会の風景も変わってくるかもしれませんね。

 

▼参考URL:『大学とは何か 』吉見 俊哉 2011年(岩波新書)

https://www.amazon.co.jp/dp/400431318X/

▼参考URL:法政大学産学連携ビデオ教材新作発表会(3月29日)

http://www.hosei.ac.jp/NEWS/event/170309.html

第346号:採用担当者に勧めたいアクティブラーニング

3月に入り、各大学での企業説明会が一斉に始まりました。大教室を満員にする人気企業もあれば、小さなブースなのに誰も寄りつかない企業もあったり、採用担当者も悲喜こもごもです。私も学生気分に戻っていくつかの企業説明を聴講してみましたが、採用担当者のプレゼンテーションスキルにはかなりの差があることがわかります。学生とコンタクトする時間は短いからしっかり心を掴むプレゼンをしなければなりませんが、採用担当者は他社のプレゼンを聴く機会はなかなかないので、自分のプレゼン能力に気づけない方も多いようです。

大学内企業説明会はいろいろなパターンがありますが、30分程度の短いプレゼンテーションを数回繰り返すパターンが多いです。採用担当者にとっては、学生に深く理解して貰うよりも後日自社内セミナーや選考会に引き込むための学生の情報を得る方が目的のようですから。こうした企業の採用担当者のプレゼンで上手くないと思うのは以下のようなパターンです。

・一方的に話し続けている。(スキル不足

大学の講義と同じで、一方的に話しを聴き続けるというのは非常に辛いことです。深い質疑応答までいかなくても良いので、会話の途中で相づちを求める簡単な問いかけをしたり、クイズのような簡単な質問を投げたりしてコミュニケーションを図る方が、学生とのコミュニケーションもとれて企業の印象が良くなります。大学授業で言えば、いま盛んに言われているアクティブラーニング型の進行ですね。

・自社に対する熱意を出せていない。(情熱不足

就職して営業希望だったけれど何故か採用担当者に配属されてしまった新人型社会人に多いパターンです。自分自身がまだ十分に会社のことを理解していないのと、「自分はこんな仕事をするはずじゃなかった。」というわだかまりをもっていることが多いです。また、生真面目な若手社員は「この会社よりもっと良い会社があるはずだ。」という気持ちも抱えていたりします。そうした採用担当者は「良かったら聞いて下さい。」と言います。あまり熱意を前面に出されても引いてしまいますが、自社に対する誇りや自信を感じない採用担当者が出てくると学生は敏感に感じ取ります。

・自社の情報だけしか話せない。(情報不足

質疑応答で学生から「御社の強みは?」「業界の方向性は?」などと自社の説明以上の幅広い質問を問われると、うまく答えられない採用担当者がいます。これは経験によるものなので、先輩社員がフォローすべき点なのですが。とりあえず母校に派遣されたリクルーター等は、焦ってしまいます。

採用プレゼンで怖いのは、学生は目の前の採用担当者がその企業のレベルと思い込みがちなことです。企業には多くの社員がいて、能力の高い人もそうでない人も居ますが、この時期のように多くの大学に社員を一斉に派遣しなければならない場合、必ずしもプレゼンの上手くない人もいるわけです。

逆に、学生の方が「採用担当者だけの話しを鵜呑みにしてはダメだな」「直接OB訪問して確かめてこよう」とか判断力を高めてカバーしてくれることを望みたいですが、あまりに多くの情報を目に前にするとどうしても第一印象だけで判断しがちですね。お互いが不幸なスレ違いにならないように祈りたいです。

第345号:文科省天下りと縁故採用

法の運営者たる国家公務員が、それではダメでしょう。文科省の天下り問題です。教育を司る公務員が国会で堂々と(?)釈明している姿には、怒りを感じるより呆れて脱力しました。しかもそのためのマニュアルが用意され、採用したら非常勤講師から常勤に格上げせよなどと圧力をかけてきたと聞くと、非常勤講師の薄給で働く私などは、開いた口が塞がりません(羨ましくなります。)

国家公務員法で天下りが禁止される前のことですが、私が社会人になって初めて天下りを目の当たりにしたのは防衛庁関係の仕事をしていた某企業でのことです。仕事柄、個室をもつ役員クラスのお偉いさんは憶えていたのですが、その中で名前はあっても一度も姿を見たことのない方がおりました。社員の方に「あの個室はどなたですか?」と尋ねたところ、「それは聞いてはいけません。」とたしなめられて事情を理解しました。当時は違法ではありませんでしたし、まあ世の中そんなものかと思っていましたが、上級国家公務員の中ではいまだに昭和時代が続いているようですね。

さて天下りと似て非なるものですが、民間企業には縁故採用があります。多くの採用担当者は好きではありませんが、それでもビジネス上の大人の理由から気を遣った面接を設定し、慎重に結果を出して対処しなければなりません。私も採用活動の責任者だった時に、数多くの縁故者を面接しました。面接した応募者のおよそ半分くらいは普通に応募しても合格するようなレベルでしたが、残り半分は会社の仕事についてこられないレベルでした。能力不足と判断した場合は、紹介者に気を遣いながら結果通知をします。

それで一件落着すれば良いのですが、まれに「それでもなんとか採ってくれ」というゴリ押しがあって、無理に採用させられたこともありました。すると配属した現場から「なんでこんな奴を採ったんだ!」とクレームが飛んできます。「人事部に返すから引き取れ!」と言われ、こちらでその後の面倒をみたこともありました。縁故採用が全部悪いとはいいませんが、実力に見合わない企業に無理に背伸びして入っても、結局、本人のためにもならないと思います。

縁故採用に似たもので、最近は日本でも「リファラル(referral=紹介)採用」という言葉をチラホラ見かけます。社員紹介採用というもので、米国では20年以上前から普通に行われています。これは採用部署が社員をリクルーターにして、知人の中で有望な人を紹介して貰う仕組みです。米国の場合は規制する法律がないので、リファラル採用が成功した場合、紹介した社員に報奨金が支払われます。私が在籍していた外資系コンサルティングの世界ではこれが盛んで、新入社員(中途採用が殆ど)が入社すると、まず採用担当者がどんな人脈をもっているかインタビューして有望な応募者がいないかと尋ねます。

このように人をメディアにした採用活動は実態が見にくいですが、今後も流行っていくのではないかと思います。企業にとって手間暇はかかりますが、目に見える採用コストは下がりますから。

望ましくもない人間関係、望ましい人間関係、どちらにしても採用活動というのは極めて人間臭いお仕事ですね。

第344号:入り込めない就活映画&ドラマ

映画やドラマで時折、就職活動が題材になります。昔のものはすぐに「こんなことありえないよな」と笑いながら楽しめましたが、最近のものは良くできていて「これはリアルだなあ」と思わされることが多くなりました。それでも、よくよく観ていると「やっぱりこれはありえない」と感じてしまうことがあります。おそらくそれは採用担当者の目線で観ているからなのでしょう。

 

就活映画では1991年に公開された『就職戦線異状なし』が有名です。織田裕二が大学生を演じていたのをご覧になった方もおられることでしょう。この映画はバブル期の売り手市場の時に制作されましたが、公開時にはバブル崩壊が顕著になったこともあり、ますます現実離れになってしまいました。

 

そして昨年公開されたのが直木賞受賞小説を映画化した『何者』です。これを観た学生が「先生、あの映画は本当にリアルです」と興奮していたので、私も映画館に足を運んでみました。確かに登場人物のそれぞれが、実際によくあるパターンの学生を個性的に演じており、ネットを活用した就活やトラブルもリアルに描写されていました。

 

しかし、こうした映画やドラマは、最大多数の想定視聴者である学生の目線で描かれているので、学生には共感できても、採用担当者側の目線ではありえないと感じてしまい、ストーリーに入り込めないのです。例えば現在放映中の『就活家族』というTVドラマがあります。このドラマの中で、主人公の人事部長が生意気な応募学生に対して面接中に「君のような人間はどんな会社も必要としない」と発言するシーンがありますが、これは大手の企業ではまずありえません。

 

面接選考のその場で良い評価を伝えるならともかく、採用担当者が学生に面と向かって否定的な評価を伝えれば学生本人がそのショックでどのような言動に出るかわかりません。その場で泣き出すかもしれませんし、面接後にネット上でとんでもない発言をするかもしれません。大企業になればなるほど企業のコンプライアンスやブランディングの重みがわかっているので、人事部長は軽率な動きはとれません。不合格結果は何故落ちたかわからない、となる方が良いのです。だから多くの学生が「面接では良い感じだったのに何故か不合格になったんですよ!」と口にします。

 

ちなみに、多くの企業が面接の最初で、「この企業を知ったキッカケは何ですか?」と問うのは志望動機を問うだけではなく、業界の関係者(縁故筋、ビジネス筋等)ではないかを確かめるためでもあります。これもリスク管理です。

 

ところで、昨年の映画『何者』は、関係者の中での評価は高かったようですが、映画興行としては不作だったようです。察するに、現在の採用活動は画一的なマス型採用から個別のダイレクトリクルーティングへ徐々に移行しており、大学生もまた年々多様化しています。同世代の大学生間でも就活経験が異なってきているので大ヒットになる共通共感を生みにくいのではないかと思います。もしかすると、これからの就活映画&ドラマでは荒唐無稽で馬鹿明るいものの方が受けるかもしれませんね。

 

第343号:米国大統領選から学ぶこと-2

世界を騒がせた米国大統領選もトランプ新大統領の就任式が終わり、世界は現実を直視し始めたようです。今後どうなるかは予断を許しませんが、米国民の対応を見ているとリーダーや組織のあり方の勉強になります。特に大学のガバナンスという意味では参考にして欲しいと思いました。

 

トランプ新大統領の就任式は、支持率や参加者数等、前代未聞の諸事が枚挙にいとまがありません。不支持派デモがあれだけ多く報道されたのは米国マスコミの逆襲とさえ感じられます。一方、ネット上の記事で、二つほど興味を引かれたものがありました。

 

一つは、支持派と不支持派が壮絶に議論で、全く折り合いませんがお互いの立場は認め合っている、今風に言えばリスペクトは忘れていないところです。日本人が見習うべきは、感情論と理性論を切り離すことで(メンバーシップ社会の我が国ではなかなかできませんが)、討議も相手の感情や人格に触れるような言い方は避けて論争することですね。これは国柄だけではなく初等教育からの訓練がなければ難しいと思います。

 

もう一つは、不支持派の意見が現実的な点で「当選してしまったからには、役割は果たして貰う」という考え方です。決まったからには仕方ないな、という割り切りが早いです。私が外資系で仕事をし始めた頃に交わされた職場の会話を思い出しました。とあるビジネス案件で戦略が二つに分かれ、どちらも選びがたい議論になりましたが僅差で一方が選ばれた時です。選ばれなかったリーダーが「決定前には徹底的に議論したけど、決定後には従うよ」と別の戦略通りに黙々と仕事をしていたことです。

 

政治でもビジネスでも正解はありませんから難しい案件ほど選択は悩ましいです。だから大切なのはどちらの意思決定をしたかより、早く決めてその方針で早く実行することです。(ちなみに就活生も、いつまでも迷ってないでどちらでも早く決めて早く動いた人の方が結果は出やすいですね。)

例え気に入らない上司だとしても、感情は置いておいて早く動くことが組織を成功させます。逆に卓越した優秀な上司が完璧な意思決定をしたとしても、賛成しない一部の部下や仲間が文句を言い続けて渋々やっている状態では成功できません。失敗したら部下は自分たちのことより上司の責任にしがちです。

 

さて、私が企業から大学で仕事をするようになって不思議に思ったのは、学長や学部長等の「長」の意見や方針に何で教員はこうも文句を言うのかな?ということです。確かに大学は自由の議論の場ですが、その言い方や場面は気をつけなければならないと思うのです。教員という職業である限り。

 

特に学生の前は慎重になるべきです。若者はすぐに目の前の意見をまともに受け止めますから。余程のことでなければ組織トップへのネガティブな言い方は避けるべきだと思います。例え学生が大学や学長の非難をしていて自分も共感できたとしても、口車にのるべきではありません。同じ船に乗っていることを忘れずに、ちゃんと礼儀をわきまえた大人の議論を教えるべきでしょう。若者は大人の鏡であることを、しっかり肝に銘じておきたいものです。

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