第242号:授業での人事採用担当者の目線

今週の私の授業では、大手企業で人事採用業務をやってきた方にゲストでおこし戴き、学生の企業の求める人材や就職活動をする最近の学生の傾向や大学生活での心構えなどをお話し戴きました。受講生が1~2年生なので、まだ就職活動について具体的なことを指導する必要はないのですが、コメントをお願いした開口一番、学生にとって非常に大事なことをお話し戴きました。

 

今回の授業のテーマは「就活と人事の視点」というもので、最初に私から就職活動(特に面接)における最近の学生の傾向を講義してからゲスト講師の方との質疑応答(パネルディスカッション)に入りました。その最初のコメントをお願いしたときです。

 

「皆さん、いま鈴木先生からいろいろお話し戴きましたが、本当に聴いていましたか?私には皆さんが先生の話を聴いていたようには見えません。何故、先生の話に頷いたり首を傾げたり、しないのですか?」

 

実はこの方は多くの人事採用担当者と同様にキャリアカウンセラーの資格もお持ちで、現在は企業の人事コンサルタントとして活躍されています。研修講師として管理職の方に部下の育成方法等も指導されています。

 

「先ほど先生が指摘された内定が取れない学生の面接回答傾向で、業界企業研究不足、説明力(ロジカルシンキング)不足、コミュニケーション力不足というお話しがありましたが、特に注意して欲しいのがコミュニケーション力不足です。というのは最初の2つは比較的早く習得できますが、コミュニケーション力は体得するのに非常に時間がかかるのです。私が社会人の管理職の方々に部下との面談の仕方を指導する際、本当に多くの方々がこれができずに苦労しています。本人の自覚も少なく、気づいても修正するのに時間がかかります。相手の話を聴くための姿勢ができていない、相手の話に無愛想で反応していない、つまり相手にとっては聴こうという態度が見えず、話す意欲を失うのです。コミュニケーション力は伝えるだけでなく、聴き出す力も大事なのです。」

 

皆様には釈迦に説法のノンバーバル(非言語)コミュニケーションのことですが、初対面の社会人からズバッと言われた学生達には非常にインパクトがありました。授業後の感想文で殆どの学生がこの点を気づかされ、日頃の授業の受け方を反省しておりました。私も授業の最初からこの点を伝えてリアクションをしながら講義を聴くようにと指導していたのですが、やはり外部の方の(特に人事のプロの)目線は説得力がありますね。

 

学生のコメントの中には「私はリアクションしたいけど、周りのみんながしないのでやらなくなった」「授業は静かになるべく音をたてないで受けるものだと思っていた」「予備校の授業で頷きすぎはそちらに意識がいくからするな!と指導された」等々、笑えるものもありましたが、全員、良い刺激を受けておりました。 いやいや、授業を通じて学生の就活力を向上させる手段はいくらでもありますね。私の口癖ですが、「就職活動のために大学があるんじゃないが、就職活動ごときに対応できない大学の学びは浅すぎる」と改めて思った次第です。

第241号:就職準備不足とは何が本当の問題か?

経団連のご指導による倫理憲章のお陰様で、会社説明会の会誌は12月からとなり、マスコミの多くはこれによって学生の内定率が下がったと報じています。(元に戻したくて仕方ないようですね。)しかし、就活時期が遅れたことと内定が下がったことに、どのような相関や因果関係があるかを明らかにした研究は寡聞にして知りません。これをちゃんと調べて論文にしたら相当に評価されると思いますが、現状は推測や言説の域を出ていないと思います。

 

仮に、もし12月に遅れたことにより内定を取れない学生が増えたという説を肯定するならば、私にも一つの見方があります。それは倫理憲章を理由にして12月まで何もしなかった学生だったからこそ内定が決まらなかったのです。就職活動は自分で始めるものではなく、誰かが「さあ、スタートですよ。まずは自己分析して、企業を研究して、筆記試験の練習をして、グループ・ディスカッションの練習をして、面接の練習をして、あ、そうそう、ビジネスマナーやスーツに化粧も手を抜いてはいけません・・・ etc.」と言われたままにやっているような学生だからこそ内定がとれなかったのです。

 

原因は時期が遅れたことにあるのではなく、自分の頭で考えず、自分の意志で行動せず、大学受験と同じようなことをやっていたからです。皮肉なことに、倫理憲章はそうした学生と、自分で考え行動した学生の違いを明らかにしてしまったようです。これは前世紀から言われていることですが、社会で求められるのは正しい解答を探す人では無く、自分の回答を創る人です。前者は教わったことで壁にぶつかったらすぐに立ち往生して誰かに頼ります。後者は壁にぶつかったすぐに自分の別の手段を考えて動きます。

 

企業情報の提供が、たかが2ヶ月遅れたり早くなったりで、学生の社会を知る範囲がどれだけ変わるものでしょうか?学生の人間としての能力がそれほど変わるものでしょうか?企業が求めているのは2ヶ月やそこらでわかる表面的な知識ではなく、その下にある自主性や計画性や洞察性や戦略性、判断力や行動力や忍耐力です。2ヶ月の就活期間不足により、業界・企業研究不足だと指摘される学生は、もっと低次元のその会社の事業分野や基本的なビジネスモデルや、はては社長の名前とかを知らない非常識なケースです。

 

ということで、採用担当者としては12月に遅らせてくれたお陰で、できる学生とそうでない学生の見分け方がよくわかるようになりました。だからもう2ヶ月遅らせて3年の春休みからやってくれるとなお助かりますし、経済同友会の主張のとおり4年の8月なら大歓迎です。採用担当者として良い人材が確保できないなどと心配はありません。ちょっと隣国を見れば語学堪能かつ高学歴で熱心な学生が自国で就職できずに日本に押し寄せてきているのですから。(近隣諸国とのトラブル対応は、近隣諸国の社員を採用して対処するのが一番です。これはかつて大英帝国がインド支配に、イギリスに恭順したインド人を警官や公務員にして現地支配を行った手法であり、海外に進出する日本企業も現地法人を設立する際には行っていました。)

世界がどんどんつながっていくなかで、いつまでも横並びでヨーイ、ドン!っとやっているようではいけませんね。

 

第240号:内定&内定辞退ブルー

多くの企業が10月1日の内定式を開催しますので、今週の採用担当者は準備に追われて慌ただしいことでしょう。学生側としては、第一希望の会社に決まってワクワクしている者もあれば、「本当にこの会社で良いんだろうか・・・」と内定ブルーに襲われる者もいます。そう、それは採用担当者にとって「内定辞退ブルー」の始まりなのです。

新学期が始まり、前期に就職指導をしていた学生とキャンパスで久しぶりに出会いました。開口一番、「先生、どっちの会社が良いか迷っています・・・。」複数内定なのですね。私が驚いたのは、前期終了時には、その中の1社に決めたと聞いていたからです。ところが、実際は辞退せずにそのままキープしていたのですね。これから聞かされる採用担当者の心情をお察ししました。

人間は、不都合な現実に直面した場合、「驚き」⇒「怒り」⇒「諦め」と心理が変化します。時間が経つと最後は現実を受け入れて「理解」に至ります。採用担当者を長年経験していると、そうした心理変化にも慣れてくるものですが、入社して1年目の新人などで、初任配属が人事部の採用業務だった場合、内定者の辞退連絡はきつい洗礼です。人間不信になりますね。私は営業から人事部に異動になったので、新社会人とは違って人間関係の機微やトラブルは相当に経験してきましたが、それでも最初は辛かったです。自分が面接をして惚れ込んで内定を出した学生が、ある日突然変わるんですよね。

「留学(進学)することになりました。」などは当たり前で、「親に勧められた会社に行かざるをえなくなりました。」という超お嬢様大学の学生、「教授の言うことをきいて学校推薦を受けないと卒業させて貰えません」という理系男子学生等々、「母校の職員(教員)になることになりました。」という理由を聞いたときは、就職課に配属されたら絶対に思い知らせてやる・・・と思ったものです。お陰様で、かなり人間ができるようになりました。(笑)

その後、内定辞退防止策をいろいろ検討しましたが、やはり人の心の変化はわかりません。ならば、辞退されたらすぐに補欠を繰り上げたりしていました。大学入試と似ていますね。補欠を繰り上げると何処かの採用担当者が内定辞退ブルーになるわけですが、こっちも人員確保に必死です。

内定ブルーに内定辞退ブルーは、表裏の関係です。学生の相談を聞いていて思ったことは二つです。

1.選ぶ時間があり過ぎると意志決定が困難になる

2.選ぶ情報があり過ぎると意志決定が困難になる

長すぎる恋愛も多すぎる恋愛も結婚には結びつきにくいように、就職活動は長すぎても多すぎてもダメで、ソコソコにしておいた方が学生も採用担当者も(就職課職員も)助かるのかもしれません。

このメールマガジンが配信されたまさにいま、新人採用担当者の中には「内定辞退ブルー」になっている方が居ると思います。1日も早く癒されますように。

 

第239号:模擬授業と企業説明会

この夏もオープンキャンパスで大学は大いに賑い、大学の夏景色としてすっかり定着しました。私も昨年から駆り出され、高校生に向けて模擬授業や短いセミナー等を行っております。日頃は縁の無い制服姿の高校生達との触れ合いは新鮮で、いつも以上に楽しく双方向の授業を行っております。それはまるで採用担当者として就活大学生に接するときの気分です。

 

模擬授業と企業説明会は、本当によく似ています。企業の求める人材(大学で求められる学習能力・態度)や事業内容(授業内容)や社風(学風)等を伝え、応募意欲(入学意欲)を喚起致します。短時間のセミナーではなかなか伝えられない現場の様子は、インターンシップ(経団連のご指導で今年は1DAYが激減して5日間が急増)を導入していますが、これは法政大学でも行っている、高大連携プログラムの特待高校生の本授業参加にあたるでしょうか。

さて、このような広報活動で重要なのは、やはり登壇者の熱意や意欲やプレゼンテーションスキルです。意外と採用担当者(大学教育者も?)は視野狭窄のことがあり、多くの企業説明を聴いていると気になることがあります。例えば、以下のようなことです。

 

・受講者が多すぎる

ガイダンスや講演のように一方向の情報提供なら良いのですが、企業についての受講者の関心はそれぞれに異なるので、質疑応答がやりやすい人数の方が望ましいです。応募者の応募意欲にもつながります。特に今の若者は個人の扱われ方に敏感です。

 

・概要だけに終わる

大企業でよくあることですが、Webや資料でわかることしか説明しないことがあります。受講者は「ここだけの話」を聴きたくてやってきますので、期待外れに終わることがあります。特に大学内での合同セミナー等ではこの傾向がありますが、それは採用担当者の意識・経験値の問題です。

なので、高校生向けの模擬授業においても、高度なことを分かりやすく説明して向学心を喚起することが大事です。これは講義(内容)のレベルを下げることではありません。企業説明会でも優秀な学生ほど、ハードルの高い課題にぶつかった時に燃えます。採用担当者のレベルを見て(誤解して)、応募意欲が下がるというのはよくあることです。

 

・上目線になる

カリスマ方経営者の居るベンチャー企業や羽振りの良い企業等に多いですが、上目線で受講者を見下す講師がおります。学生から畏敬の念をもって見られることは重要ですが、それは講義の内容と伝え方を通じて受講者が自然と感じることです。最近破綻した某大企業が飛ぶ鳥を落とす勢いの時に説明を聴いたことがありますが、妙な違和感を覚えました。おそらくあまりに数多くの説明会をこなし、多くの学生が詰めかけるものですから見誤るようになったのでしょう。

 

前期の授業で嬉しかったことの一つは、オープンキャンパスで私の話を聴いて入学し、私の授業を履修してくれた学生が居たことです。これは私の企業説明を聴いて入社してくれた新人と再会できたのと同じ気分です。こうした出会いを大学も企業も大事にしていきたいものですね。

第238号:生きたコミュニケーション力の鍛錬

ようやく前期授業の成績採点が終わりました。私の授業は元々50名前後を想定して組み立てられたものですので、法政大学のような大規模大学で1クラスが100名(時に200名)を越えるような場合は一苦労です。本音を言えば、出席票の集計と1回の期末レポート・試験だけで採点する方がはるかに楽なのですが、それでは社会で求められるリアルタイムコミュニケーション力が鍛えられないのです。

 

私の授業の成績評価の配点は、出席点が35点、期末レポートが20点、そして最も配点の高いのが毎回の授業の後に提出させるリアクションペーパーの45点です。つまり、私の授業ではただ出席するだけではなく、しっかり授業を聴いて自分の意見を書かなければ単位がとれません。そしてこのリアクションペーパーの採点が膨大な作業になっているのです。

 

学生にとって大変なのは、リアクションペーパーを書くための時間を十分に与えていないことです。記入する時間をちゃんととって欲しいという学生からの要望もありますが、あえて行っておりません。というのは、これによって採用選考でも就職後の業務でも必須の「生きたコミュニケーション力」を求めている、鍛えているからなのです。

 

生きたコミュニケーション力とは「動的コミュニケーション力」とでも言うべきもので、いま目の前でおきている現象・状況を理解把握しながら考え分析し、アウトプット(発言・記録)する力です。高校までの授業とは異なり、教員である私が発言したことや板書(殆どは授業前に配布済)したことをそのまま書き取るものとは異なる能力です。この力は、例えば営業活動でお客様との会話の中から情報を収集・分析し、次の提案や交渉を行う場面等、仕事上の渉外場面で必須です。

 

一方、学生のもつコミュニケーション力とは、静的なものが多いように見えます。例えば、ファーストフードでのアルバイトなど、お客様との対応がある程度定型化している業務(効率上、お客様の方を企業の都合の型にはめています。注文後、他にお客が居なくても「一歩右にずれてお待ち下さい」と言われます。)では殆ど求められません。極論すれば、今の日本社会では、動的コミュニケーションとは正社員に必須、静的コミュニケーションとはアルバイトに必須ともいえるでしょう。

 

実を言うと、採用担当者も面接ではこの生きたコミュニケーション力をフルに発揮しているのです。質問を投げ、応募者の回答を分析して次の質問を考えては記録を残す・・・、応える学生も大変ですが、面接官も必死なのです。

 

期末レポートでは多くの学生が「10数回のリアクションペーパーの作成によって相当に書く力がついた」「メモのコツを掴んだ」「他の授業でも応用できる」というコメントを書いてくれました。

 

学生にとってリアクションペーパーを書くのは大変ですが、それを見る方も相当に苦労しております。お互い大変ですが、これが社会に通用するキャリア教育のひとつと信じて汗を流していきたいと思います。「一つのことに集中すると周りが見えなくなる」「自分の都合で相手を待たせる」学生達を鍛え直すために。

第237号:なぜ成績表は採用参考で重視されないか

大学は夏休みに入りましたが、教員は前期末レポート・試験採点の佳境です。私もオリンピック中継を横目に答案の山と格闘しています。しかし、こうして一所懸命に行った授業の成績採点(成績表)は、企業の採用選考において必ずしも重視されておりません。この悩ましい事実について考えてみましょう。

 

最近大学の成績が重視されるようになったとの論がありますが、これは進学率が上がり多様化した大学生を選抜する最初のスクリーニング(初期選考)が必要になってきたことであって、企業採用担当者が成績表をちゃんとみるようになった(採用選考の必須基準にする)とは言い難いと思います。というのは、以下の理由から採用担当者にとって成績表はそのまま信じるわけにいかないのです。

 

・本人の成績かどうかわからない

適性検査(初期選考・非面接選考)での最大の課題は本人認証です。Webテストでは、複数学生が同時に回答する、本人以外の(有名大学の)学生による代理受験等、CIAやゴルゴ13に負けない対策をとる学生もおります。故に多くの企業は適性検査をテストセンターで行っております。

また、授業に一切出席せず、真面目な同級生や後輩からノートのコピーをとって受験する、レポート作成を友人に依頼するというのは、私の学生時代(前世紀)からあることです。

 

・教員の評価基準がマチマチ

仮に全て本人がレポートを書き、テストを受験したとしても、その課題の難易度、成績評価の基準の厳しさ(甘辛)は教員によってマチマチです。なので、私自身も採用担当者時代には、応募者の大学の中で代返のできない科目、テスト評価の厳しい先生の授業を把握して、成績表の中でもその科目だけを見るようにしておりました。

 

・大学での学びの本質が理解されていない

教員で民間企業での勤務経験がある方は稀少です。商学部や経営学部の教員なら研究活動の中で理解していけますが、文学部などでは企業で社会人が働くシーンを見たことも無い教員も多いでしょう。そのため「私の授業は社会で役に立つものではありません」と語る教員さえおられます。

 

こうした背景があるので、現状の成績表はそのまま採用選考基準にするわけにはいきません。(逆に言うと、そうした点も見抜けるのが上級の採用担当者です。)

更に、私は教員になって7年になりますが、私自身が教員側として成績評価をする際に、非常に悩んだことがあります。それは成績評価(結果)のもつ教育効果です。学生は、成績の結果によって学問への関心や意欲が変わります。特にキャリア教育は本人の人格に触れることが多く、かつ確固たる正解がある分野ではありません。そのためレポートを読んで、その内容自体は低レベルであっても、書き方に意欲や熱意を感じた場合には、その点を評価に加える場合があります。しかし、これは学生を知らない採用担当者にとっては困ったことでしょう。

海外の大学を模範に秋入学を導入するならば、海外で標準となっている成績表(GPA)評価を採用選考基準(応募要件)にする点も見習わなければと思います。

 

第236号:期末レポートの採点基準(常識編)

期末試験のシーズンになりました。私も前期授業が終了し、これから文字通り山のようなレポートとテスト答案の採点を行いますが、その採点基準は、企業におけるESの選考基準と同じです。私が学生に伝えている採点基準(常識編)は以下の通りです。正直、ここまで教えなきゃいけないのかと悩みます。企業に提出するESほどの緊張感が無いせいでしょうか。どうお感じですか?

 

1.量があること。

用意された解答(回答)スペースは、暗にこれだけ書きなさいという期待です。レポートは、相手の期待に応えるように書くものであり、書くことがトレーニングです。

 

2.見やすいこと。

読む前に判別不能な文字が増えてきました。これはビジネスマナーと同じで相手に対する配慮不足です。薄い鉛筆ではなく、黒のボールペンを使い、文字の大きさは設問文と同程度かやや大きめで。

 

3.漢字を使うこと。

最近のレポートは、ひらがなが多く大学生としての知性を感じません。たまに絵文字まであります。それはそれで面白いで減点はしませんが、内容が無ければ加点できません。

 

4.自分の意見(学んだこと)があること。

ただ授業の内容を書き写すだけでは、講義を聞いていたことはわかっても何を学んだかわからず加点できません。高校の授業とは、もっとも異なる点で、解答ではなく回答を求めます。

 

5.事実+意見であること。

ただ「参考になった」「役だった」だけではわかりません。何がどう良かったのか、どう参考になったのかを書きましょう。たまに授業とは全く関係のないことを書く人が居りますが、それが授業とどのように関係しているかがわからないと加点できません。

 

6.前向きであること

ゲスト講演者やビデオ教材では、自分との相違点を見つけ、それにどのように近づくかを考えるのが学習ポイントです。できない理由ではなく、できるようになるにはどうすれば良いかを書きましょう。

 

7.品格があること

乱暴・下品・不遜な表現は論外です。減点対象になります。

 

上述の通り、これらはESの評価基準とも同じです。ここまで伝えても、ただひと言「ありがとうございました。」とだけ書かれた回答用紙を提出してくる学生には、それなりの評価しか与えられません。個人のキャリアには点数は付けられませんが、学ぼうとする姿勢(書き方)は採点できますから。

ちなみに、この採点基準をある企業人事部の方に見せたら、「うちの社員に見せたいので下さい。」と持って帰られました。社会人も大丈夫なんでしょうか?

第235号:就業力育成ビデオの効果

春にお伝えしていた法政大学にて制作した就業力育成のための教材ビデオが完成し、6月から授業で使い始めました。受講生の反応は想定内外のものがありますが、非常に有効なキャリア教育のツールになりそうです。そして、これは授業だけではなく、就職課の指導ツールとして、そして企業の新人研修としても相当に応用が利くということが確信できました。

 

受講した学生の声をそのままお届けしましょう。

<1年生>

「今年入学したばかりで、仕事に対してあまり意識はしたことがなかったのですが、ビデオを見て、社会の厳しさを学べて良かったです。グループ・ディスカッションをして4年生の方々が仕切って話を進めている姿を見て、自分にはまだできていないことなので、私もあと3年したらこのようになれるのか、ハキハキと意見が言えるようになるのか不安です。就活までに今日学んだこと(コミュニケーション力)を身につけられたらいいなと思います。」

この教材は複数の教員で活用しておりますが、進行に当たっては受講者間でグループ・ディスカッションを取り入れております。学生をランダムに組ませることによって、知見を広げると同時に、コミュニケーション力の向上も狙っています。見知らぬ学生同士の話し合いは緊張するものですが、授業後の感想では新しい友人が出来て良かったという副産物までありました。

 

<3年生>

「アルバイトと社員の違い、応用力がある人が正社員としての能力を見込まれること。過去のものをインプットして加筆し、アウトプットすること。下調べの重要性、誠意の見せ方。今までの授業とは異なって、行動的な授業だったので今後のためになりました。」

多くの学生が面接の自己PRでアルバイト経験を語りますが、そこで得られる資質が企業の期待とはかなり異なるものであることが多いです。この教材ビデオでの重要な狙いは、そうした社会のニーズを気づかせることと、その力は大学の授業からでも身に付けられるということです。こうしたアクティブな教育手法をとることによって、学生の就業力は飛躍的に向上いたします。

 

更に、この教材ビデオは授業だけではなく、企業の新人研修や内定者研修でも活用が可能です。お陰様で多くの大学教職員からご関心を戴きました。そして企業の採用担当者の方からも、今後の教材ビデオについて産学連携の可能性を戴きました。これからはビデオだけではなく、こうした運営ノウハウも開発も進めて行く予定です。

早速、法政大学での活用状況をお伝えするワークショップを開催することに致しました。ご関心の有る方は、どうぞお越し戴き、意見交換をさせて戴ければと思います。

▼8月8日(水)法政大学市ヶ谷キャンパス(ご参加者には教材ビデオを差し上げます。)

ワークショップ「ビデオ教材を用いた就業力育成を考える」

http://3step.hosei.ac.jp/event/details/2012/06/20/id1781

第234号:リクルートスーツ再考

私はリクルートスーツには反対ではありません。むしろ賛成派だったのですが、最近は少し考え直しています。それは個性が表現できないとかグローバルスタンダードではないとかのよくあるベンチャー企業や新興産業の社員が語るような視点では無く、それを着る学生の精神が幼くなってしまったからです。スーツ着用がだんだん辛くなってきたこの季節に再考してみたいです。

 

元々、私はスーツが好きではありません。初職で就いた企業は、確かにスーツで仕事をするのが当たり前でしたが、個性重視の大らかな社風でしたし、外資系企業に転職してポロシャツにジーンズで通勤できるようになったのは天国でした。転職した10数年前、サンフランシスコでの新入社員研修に「ビジネス・カジュアル」で来いと言われて戸惑いました。当時NYに駐在していた友人にから「ジャケット着てれば何でも良いんだよ。」と聞きつけ、カジュアルなブレザーにカラーシャツ(ネクタイはしませんでした)で研修会場に向かったところ、ほぼ全員がジーンズで、中にはTシャツに短パンのナイスガイもおりました。(勿論、翌日から私もジーンズです。)

 

翻って、私がリクルートスーツを着るのに賛成するのは、次の二つの理由からです。

1.公私の気分転換をする機能があるから。最近の公私混同企業(かくいう私もそうですが)ではこうした点は逆に嫌悪されますが、女性の化粧のように、その準備をすることによって自由人である個人から社会人である仕事人になるのです。なので、私は授業では必ずネクタイをしています。

 

2.やはり中身で勝負と思うから。だったら服装は何でも良いという視点もありますが、どんな服装であれ、外見を先入観に入れたくはありません。これは特に採用担当者にとって必要なセンスではないかと思います。勿論、どんな服装をするかは個人の指向性把握の材料にはなりますが。

 

しかし、最近の長期化で1年中リクルートスーツを着させるのは残酷だと思うようになりました。大人への変身アイテムが、就職産業の奴隷服・囚人服に見えてきたのです。特にこれからのシーズン、リクルートスーツでビジネス街を学生に歩かせるのは酷なことでしょうし、学生によっては「私は今も内定がありません」という貼り紙を貼られている気分になるでしょう。

 

スーツ企業は「スーツデビュー」等とはやし立て2着3着と買わせますが、スーツを着用するということは、公式の場に出ること、個人の都合ではなく、社会の常識にあわせていくことだったはずです。つまり大人・社会人への変身アイテムのはずが、七五三の衣装になってしまいました。そんなものならジーンズの方がましです。

 

私がこのショートコラムを書き始めたのは、2002年6月からです。ちょうど10年となりました。しかしその間、就職活動というのは良い方向に向かってきたのでしょうか?就職活動がイベント化され、産業化されてきた現状を見直す必要があると思うのです。リクルートスーツが本来の意義を取り戻して欲しいと思います。

第233号:結果の出ない他責学生

続々と届く学生からの内定報告を聴いていると、やはり模擬面接や相談で見てきた感触通りの結果だと思わされます。採用選考活動は基準が曖昧でわかりにくいと言われますが、多くの結果を見ていると、企業は変われども、それは至極妥当な視点で判断されているのだなと感じます。就職活動は確かに運に左右されるものですが、決して運だけでは決まりません。前回も書きましたように、この時期の未内定者にとっては、今がまさに変革できるかの瀬戸際です。

 

内定者を月ごとに時系列で追ってみてみると、こんな感じに見えます。4月にすっと決まる学生たちは大学生としての活動内容が充実しており対人スキルも高く、いわゆる「優等児型」です。

5月になって決まる学生たちは4月内定組と変わらない資質や経験をもっていながら、対人スキルやものの見方にちょっとした「クセ」があり、最終選考でつまずくタイプ、つまり「個性児型」です。

6月に入ったいま、やっと決まってくる学生は、4月から挫折を繰り返しながらも諦めず、失敗から学んで自分を変化させていった者たちです。「努力児型」と言って良いでしょう。

 

そしてまだ結果が出る気配が見えず、これからしばらく苦労しそうな学生の共通点を一つだけあげると「他責的で自己成長(変革)していない」ということに尽きると思います。これを私は「怠惰児」と呼んでいます。努力をしていないというわけではありません。努力の方向が自分に向かずに環境のせいにしており、自責の念を持って自己改革を行わないという意味です。

 

これは前回触れた「ミドルレベル学生」と同じで、中途半端に能力があるのでプライドが高く、傷つくことが弱い現代の若者に特有の傾向です。地力はある方なので、ちょっとした機会で目覚めれば、すぐに結果が出やすいタイプでもあります。そのキッカケは、親や教員や就職課の相談員のような知己ではなく、初対面の社会人、つまり自分のことをまったく知らない大人に客観的に課題を指摘されたときが多いようです。問題はそうした社会人がなかなか身の回りにいない、ということですね。

 

実は、上記の「優等児」「個性児」「努力児」「怠惰児」の4タイプは、私が企業で社員の能力開発を担当していたときに作った類型です。発想力と忍耐力の2軸が基準で、両方とも持ち合わせているのが「優良児」、独創的だが飽きっぽいのが「個性児」、閃きは無いがコツコツ続けられるのが「努力児」、そして両方とも見られないのが「怠惰児」というわけです。新人研修をしながらアセスメントを行い、評価分析をしておりました。私は採用業務を担当する以前に能力開発を担当していたのですが、その時に見つけたこのノウハウは、そのまま採用選考基準としても使っておりました。

 

そして、大学教育の現場にどっぷりと浸るようになり、採用側から学生支援・教育側になったいま、改めてこの4タイプが見えてきました。それはこうした就職活動の結果だけでなく、担当している授業でも同様です。他責的な怠惰児がどんどん増えてきていることに危機感を感じます。就業力や社会人基礎力という「能力」は、これまで相当に大学でも研究されてきました。しかし、その根底にある努力する方向性の研究については、これからだと思います。大衆化してきた大学の難題に直面し、学生以上に悩むことになりそうです。私たち教員も自己改革しなければならないかもしれませんね。

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