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第210号:「何でも良いから頑張ろう」はもう危ない?

「学校名不問」という言葉がもてはやされる日本の採用選考活動は、人物重視といわれています。いま主流のコンピテンシー面接では応募者の能力や資質を理解するために過去の経験を丹念に尋ね、その成果や取り組み方によって人物を判断するわけです。その意味では、頑張ったことは何でも良いのですが、どうも最近はそれでは危なくなってきた気が致します。

 

採用選考では、「落とす理由」と「通す理由」があります。前者はグループ・ディスカッションで見られるような組織内での消極性や面接で感じるコミュニケーションの違和感等、当然に期待されている知識や常識や対人スキル等です。後者はその学生が他者と比較してぬきんでている能力・資質で、わかりやすく言えば、TOEIC900点を持っている等の事実です。(逆に英語がまったくできないとなると落とす理由になりますが。)

 

面接において、学生生活において一番、頑張ったことを尋ねると、もっとも多く出てくるのはアルバイト経験で、次はサークル活動です。(残念ながら勉強をあげる人は非常に少なくなってしまいました。)そのアルバイト経験について詳しく問うてみると、かなり内容が似ているので、採用担当者にとってはそれで差を付けることは難しくなってきました。似通った経験は「通す理由」ではなく「落とす理由」になってしまうからです。上記のTOEICや資格についても、その実力が多くの人と似通ったレベルなら「通す理由」にはなりません。

 

翻って、世の中のアルバイトを見てみると、その多くは労働収益的で似通ったものです。アルバイトが20年前と異なるのは、その内容が正社員と非正社員の仕事とに明確に分かれてきた点です。以前であれば正社員の多くいる職場に非正社員(学生アルバイト等)が入っていけたわけで、正社員と非正社員の仕事の違いを大きく感じることができました。ところが今は、少数の正社員が多数の非正社員を動かして仕事をするようになってきて正社員の仕事が感じにくくなってきています。それは大規模チェーン展開の業界(家電量販店、ファミリーレストラン、ファーストフード店、コンビニエンスストア etc.)を見ればハッキリしています。

 

結局、今の学生を非個性化している一因は、こうした業界が学生を主戦力にするようになってきたからではないでしょうか。そして学生は、こうしたアルバイトを通じて生活環境(ライフスタイル)を身に付けていきます。

この点をリアルに感じさせられたのは、今春の学生の授業の受け方です。震災の影響で多くの大学は開講時期を遅らせました。新入生は入学した途端に暇になってしまい、アルバイトを探し、GW明けの授業開校時にはアルバイトのシフトに組み込まれてしまいました。つまりアルバイトによって生活のペースメーカーができてしまったのです。そして、「アルバイトがあるから授業に出られない。」という自分に対する大義名分を身に付けてしまったようです。

 

こんなわけで、授業や就職ガイダンスで、「何でも良いけれど頑張りなさい」と言ってきた私ですが、最近はちょっとこの言葉を飲み込み、こんな言葉を言うか言うまいか迷っています。「頑張ることはしっかり選んで取り組みなさい。それが貴方の将来を決定します。」

第209号:現出した通年採用

春の採用選考を延期した商社や製造業が動き出し、今期の採用活動も(最後の?)ヤマ場になりました。街中にリクルートスーツの学生がまた目立ち始めています。しかし、既に就職活動を終えた学生も相当数に出ておりますので、街中にリクルートスーツが溢れているという状況ではありません。こうした五月雨式の採用・就職活動が、いわゆる「通年採用」のささやかな現れです。

 

これまで何度か書きましたが、「通年採用」とは企業が1年中採用活動を行っている、新卒学生がいつでも企業に応募できるということではありません。採用時期も採用数も状況に応じて決める、というものです。つまり今春のように企業によって採用活動がまちまちになってきます。

 

それは応募者にとって、志望業界・企業の採用時期が集中せずに応募機会が増えるというメリットと、志望する企業の採用活動状況に常に注意を払うという煩雑さのデメリットがあります。これは就職活動を完全に自分自身でコントロールできる「自己責任型」の応募者にはメリットで、就職活動を環境に委ねる「他者依存型」の応募者にはデメリットだといえます。どちらが良いか?という議論は大学生がわりと均一していた前世紀の話しで、現在のように大学生が多様化した時代には、もうそれぞれのメリットを分けて認めるべきでしょう。

 

では、今後の通年採用の時代に適合した「自己責任型」の応募者になるには、どんな資質が求められるのか?具体的には以下のような、良い意味での「自己中心型」ともいえましょう。

・自己肯定感が強い

⇒第一希望の会社は、(内定して)自分が入社を決めた会社だと考える。

・周りに左右されない

⇒就職活動を始めるときも終わるときも自分で決める。

・ダメ元ができる

⇒説明会が用意されてない企業でも、ドアを叩いて尋ねる無駄ができる。

 

これらの素養を暗に期待している企業の言葉をお伝えしましょう。つい先日、お会いしたハイテクベンチャー企業の社長に伺ったコメントです。

「中小企業の側から見ると、採用は結構むずかしいですね。毎年採用なんかしないので、人事部もないし、学校にコネもない。就職難とか言ってますが、同時に採用難が発生しています。」

 

こうしてみると、結局、新卒一括採用とは、企業も学生もお互いの効率を考えて形成されてきたものではないかと思えてきます。上記のような「自己責任型」人材になるのはなかなか大変だと思いますが、これも時代の要請なのでしょう。世界においては、こちらの方が標準ですからね。厳しい時代・環境をバネして自立していく、それは今の日本にとって最も大事な課題ではないかと思います。

 

 

第208号:facebookの脅威

前回、ソーシャルメディアについて書きましたが、特にfacebookの活用について大丈夫ですか?というお問い合わせがありましたので、少し注意点を述べておきたいと思います。前回は逆説的に「学生に積極的に使わせましょう!」と書きましたが、反面、facebookには非常に怖い面もあります。

 

facebookは、ソーシャルメディアという名のとおり、昔のアマチュア無線に近いものです。携帯電話やインターネット以前の時代に私も楽しんでおりましたが、アマチュア無線は免許取得者の個人個人が自前の放送局という存在で、公共電波に広く発信するものです。そのため、常に誰かが聴いているという意識を持ちながら会話する心構えが必要でした。

 

facebookがアマチュア無線とまったく異なるところは、自分の発信したメッセージや友達情報がネット上に公開され記録される点です。わかりやすく言えば、携帯電話の着信・発信履歴と電話帳を他者に公開しているようなものです。

これはデフォルト(最初に登録したままの状態)で使用し始めた場合で、プライバシーの設定を行うことで、公開情報の内容や公開先を制限することができます。しかしながら、日本でfacebookが爆発的に普及している現在、こうしたことを気付かずにいる方が相当に多いのではないかと思います。

怖いのは、気付いた後では手遅れになることです。周知の通り、個人情報は一度ネット上に公開されると殆ど取り返しがききません。自分のfacebookやブログから削除したとしても、既に他者に広がった記憶や評価というのは残ったままです。

 

というわけで、就職活動中の学生がfacebookを使う際には、以下のような点を注意喚起しておくべきだと思います。(これは企業のビジネスマナー研修でも必要になってきた常識です。)

 

・最初のうちは、個人情報の公開は限定的にすること。(mixiと同じ感覚で使わないこと。)

⇒個人が特定されやすい(ストーカーには最高のツールです)。

・facebookのビジネスツールとしての性格をしっかり理解する。

⇒自然と人脈が広がって公開される(業者の顧客開拓・宣伝には最高のツールです)。

・特に友達の受け入れ、友達情報の公開には慎重に。

⇒自分の友達情報の公開は、友達にも迷惑がかかる面がある(携帯電話を無くした怖さ)。

 

facebookの怖い性格は、退会の手続きをとる際に垣間見えます。以前よりは改善されましたが、まずは退会方法がわかりにくく一度入ったらなかなか抜けられません。それでも退会手続きをとろうすると、(言葉は丁寧ですが)かなり脅迫めいたメッセージが出てきます。

最後に、採用担当者の視点でfacebookの機能を見ていてすぐに連想されるのは、かつての興信所の役割です。いまでは少なくなりましたが、以前、大手企業では内定した学生の身元調査が行われておりました。facebookでは流石に個人債務の状態まではわかりませんが、興信所にとっての前段階調査ではfacebookは最高のツールです。

原子力と同じく、最新技術は魅力的に見えるものが多いですが、それを使う人間の意識や能力がついていかないと怖いものとなりかねません。

第207号:ソー活とリア就

「ソー活」という言葉は、そろそろ皆さんも耳にも届き始めた頃だと思います。いま流行のソーシャルメディアであるtwitter(ツイッター)やFacebook(フェイスブック)等を利用した就職活動のことですね。今年は「ソー活元年」といわれておりますが、これまでのITツールと何が違うかを理解するのはなかなか難しいです。いずれこのコラムで何度か触れて参りますが、少し俯瞰してみましょう。

 

そもそも「ソーシャルメディア」という言葉の意味もよくわからないという方も多いでしょう。たしかに、IT業界に身を置いてきた私でさえ最新の動向についていくのはなかなか大変です。同じソーシャルメディアであるtwitter とFacebookでも使い方や機能はかなり違います。Twitterでは匿名にして何でも気楽につぶやけますが、 Facebookは実名で使われるのが基本なので自ずと発言には自制心が求められます。

双方の共通点といえば、そうした情報発信・交流の中で自然とネットワークが広がっていくように設計されている点です。そのため、こうしたツールを使いこなす「ソー活学生」と、そうでない学生ではますます大きな情報格差が発生してくると思われます。周知のとおり、昨秋からリクナビとタイアップしたFacebookの「コネクションサーチ」という機能では、OB/OG訪問のアポも取れるようになってきますので、もしかすると大学就職課の卒業生紹介という仕事も減るかもしれません。

 

一方でここ数年大手企業は、ネット経由の「ソー活学生」よりもリクルーターを使った直接の対話による採用活動に力を入れてきました。学生にとっては「ソー活」とは対称的なリアルな就職活動、つまり「リア就」(学生の俗語である「リア充」、ネット上の仮想社会ではなく現実生活が充実している人のことから思いついた私の造語です。)の学生の方が有利だったわけですね。この傾向は今後も続くでしょう。しかし、ソーシャルメディアの流行により、このリア就の学生も影響を受けて変わってくるかもしれません。

というのは、実名で学歴や趣味等がわかるFacebookは、それだけで「ネット上のリア就」という性格をもっているからです。企業のリクルーターは、これまで卒業生名簿や出身研究室・サークルというリアルな人的ネットワークから学生に接触を計ってきました。その手間暇が、Facebookによりかなり効率が良くなるからです。以前より「逆求人」という企画がありましたが、自分に自信のある学生は、積極的にソーシャルメディア上に自分の個人情報を公開し、リクルーターの目に止まるようにするでしょう。つまりソーシャルメディアはWeb上に公開された履歴書やESの役割をもつのです。こうした情報発信ができない学生は、逆にどんどん埋もれていくかもしれません。

 

最後にこのメディアは上手く使えば良い学生指導の機会になることを指摘しておきたいと思います。ソーシャルメディアは公開されたメディア、つまり公共の場なので、学生がネット上で無礼な振る舞いをすると丸見えになります。機能上、見せないようにも設定できますが、どんどん公開させて、若者にスマートな公共精神を身に付けさせるのです。「採用担当者の目に止まるような発言・書き込みをやりなさい!」「ネット上に誇れるような大学生活を過ごそうよ!」「そんな失礼な発言は採用担当者が見ているよ!」私は最近、学生にそうしたセミナーを行い始めましたが、是非、新しいメディアを新しい視点で活用したいものですね。

 

第206号:法政大学での就業力GPプロジェクト

これまで文科省の「就業力GP」については何度か触れて参りましたが、私事ながら、この4月より法政大学の特任教員(任期付き非常勤講師)に就任致しました。過去のコラムを書いていた時点では全く無かった急なご依頼で、私自身が一番、驚いておりますが、微力ながらも批評者ではなく実践者としてチャレンジしてみようと思います。

 

法政大学のプロジェクト・メンバーは、リーダーの藤村教授以下、私を含めて3名の特任教員が担当致します。特任教員はそれぞれのキャリアを活かした専門分野へのアプローチを行いますが、私の場合は言うまでもなく、まずは企業人事部との連携です。多くの企業と議論しながら「就業力」というものの外部評価基準・手法を開発したいと思っております。これまで多くの「××力」というもが提起されてきましたが、それらを聞く度に、大学教育と企業の求める人材像との距離に問題意識をもっておりました。このコラムで提唱し続けてきたことを実践する機会を戴いたわけですね。

 

以前ここで、就業力というものは、大学の通常授業を通じても十分、身に付けられるものだ、と書きました。例えば「事実」と「意見」を分けるという基本的なアカデミックの視点は、就職活動だけではなく就職後の仕事でも必須のものなのです。

私が新社会人として営業に出始めた頃、上司が新人営業マンにしつこく指導していたのは「いいか、営業会議では、顧客が言ったことと、自分が推測したことは、混同せずに報告しろ!」というものです。これは顧客の言っていたことだけを報告しろということではありません。それならば、営業はただのメッセンジャー・ボーイです(確かにそんな業界もありますが。)。大事なことは、顧客の言った事実をちゃんと確かめる、情報がなければもっと集める、そして推測する、ということです。ベテランになるほど勘がよく働きますが、その場合でも思い込みは危険で、この原則は大事です。

 

このようにアカデミック・スキルはちゃんと社会に通用するものなのですが、残念ながら当時の私は大学でそんなことを学んだ記憶がありません。試しに就職活動中の有名大学の学生にも尋ねてみましたが、「言われてみれば、ああ、確かにそうですね。大学の勉強って、そういうものなんですね!」と喜んでおりました。つまり、大学で学ぶことと、それを社会で応用するということとは別の能力なんだということです。こうしたアカデミック・スキルを再認識させる指導が就業力育成のひとつでしょう。

 

これは資格と就職の関係も同じだと思います。就職活動(採用選考)においては、資格そのものに価値があるのではなく、資格勉強の過程において身に付けた能力や視点が役立つのですが、そこを面接で主張する学生は意外と少なくて勿体ないです。学士力と就業力の関係も同じではないかと思います。学士として身に付けた基本的なアカデミック・スキルを社会で使いこなせる応用力、それが就業力というものではないでしょうか。

 

と、こんな試行錯誤を今月からはじめたところです。今後、企業だけではなく、多くの大学就職課の方々とも意見交換をしていきたいと思っております。今回採択された180校だけでなく、ご意見・ご質問等ございましたら、是非、お声掛け下さい。一緒に考えてみませんか!

 

第205号:救難・復旧・復興対策としての採用活動

震災後3週間が経ちましたが未だに被害の全容が把握しきれておりません。この時期に企業の取るべき採用活動のあり方を、敢えて就職活動に戸惑う学生への支援策として論じることをお許し下さい。いきなり就職活動が止まってしまった学生も間接的な被災者であることには間違いないでしょう。そして先が見えずにエアポケット状態になっている採用担当者が、学生に対して何ができるかを整理して将来への課題提起をする気持ちです。

 

災害における対処としては、「救難」「復旧」「復興」の3段階ですが、これを採用活動になぞらえると以下の通りになるでしょう。

「救難」⇒短期対策で即時に緊急対応すること、現応募者への採用選考スケジュールの説明、採用時期の延期、被災地方に対する特別採用枠の設定です。しかし被災地方の特別枠を設定するのが、ネスレ日本社のように完全に優先採用枠を用意するならば素晴らしいことですが、他の地域の採用選考スケジュールはそのまま先に行うのでは問題があります。というのは、今回の被災規模が明らかになるにつれ、企業への業績影響が徐々に大きくなり、時間が経つほど採用予定数が減少する可能性が高いからです。つまり、被災地方の学生が企業訪問出来るようになった頃には、採用枠が無くなっているかもしれません。ですので、全国の学生には気の毒ですが、機会公平を期するならば全員一律に選考時期を延期するのが妥当です。そして、この延期を次の段階の復旧につなげて欲しいです。

 

「復旧」⇒中期対策で現状に復帰させること、つまり採用シーズンの適正化です。何度もここで私が主張してきたとおり、採用活動早期化にはこうした経営リスクがあるにもかかわらず進めてしまい、結果、学生や企業自身にも大きな機会損失を生んでいるわけです。もし企業の採用活動が総合商社の提案の通り夏からだったなら、どれだけ多くの学生がこの春休みに被災地のボランティア活動に従事できたことでしょう。被災地に直接行かなくても、東京での募金活動や物資の調達や公共団体やボランティア団体への労務の提供や、学生得意のネットを使った被災地向けの支援も可能でしょう。

 

「復興」⇒長期対策で過去を見直しより良い形に再生すること、これにはいろいろな策が考えられますが、私が提案したいのは大学評価の見直しです。現状ではやや理想論と言われそうですが、学生の大学生活(授業成績だけでなく、課外、学外活動全般)を評価して企業が採用できるようになることです。企業が多大な金銭&時間コストをかけて就職(採用)シーズンを作るのではなく、大学の評価基準を信頼して採用することです。大学側も求める人材(選考基準)について真剣に企業と意見交換・議論して企業の採用基準に準ずるカリキュラムや推薦制度を開発することです。(念のため書きますが、就職予備校化ではありません。大学本来の知見を就職・採用活動に応用することです。)

 

幸いにも被災を逃れた地域の企業・大学・学生は、救難にむかえなくても、現状を見直して復旧について真剣に考えることはできるはずです。そして復興を単なる過去の復元とするのではなく、より良い形に創成していく、それができなければ犠牲になられた被災者の方々に申し訳がたちません。

 

第204号:未来を信じて

この度の大震災では多くの方々に直接・間接の被害がありましたことを心よりお見舞い申し上げます。被災地で苦労されている方々の報道を聴く度に、一日も早い復旧を祈るばかりです。しかし、こうした中だからこそ、未来を信じる気持ちを忘れずにいたいと思います。

 

このような状況において、企業も今後の採用活動をどうすべきか戸惑っております。被害規模の大きさからは現場担当社の判断だけで動けないことは明らかで、既にいくつかの企業から表明されているとおり、当面の採用活動を延期し、現状を把握することで精一杯です。企業によっては採用活動そのものを中断せざるを得ないところも出てくるでしょう。

採用担当者が当面考えなければならないのは、まず入社直前の内定者(4年生)をどうするか?ですが、直接被害のある現地関係企業か、便乗内定取消をするような悪質企業ではない限り、内定取消はあまり出ないと思われます。数年前に内定取消騒ぎで世間の目も厳しくなっておりますし、これから内定取消をする手続きの方が大変です。

逆に、厳しく考えなければならないのは応募者(3年生)の採用数をどうするか?ということです。この春はやや景気が上向く気配でしたが、今回の震災では昨年より採用数が減少することは間違いありません。採用時期を5月や6月まで延期したとしても、時間が経つほど経済状況が下降局面に向かうでしょうから、選考基準もますます厳格にせざるをえません。

 

こんな状況の中で応募者の学生に心がけて欲しいのは「厳選応募」です。不況下で有名大企業に数多く応募したくなる気持ちはわかりますが、やみくもにエントリーをするのでは志望動機が浅く曖昧になるだけです。しかも、採用数が多い(100人以上)の企業ほど人員計画はぶれやすくなります。この5月初旬には金融、6月初旬には商社・メーカーの少数採用に多数応募者が集中すると思われますので、競争も激しくなるでしょう。是非、リスク分散を考えた「厳選応募」をして欲しいです。

 

さて、政府からは主要経済団体に内定取消防止や被災地の応募者への配慮が養成されています。しかし、今回の災害は個別の企業の努力では対応しきれません。政府に望みたいのは具体的な雇用機会の創出、例えばこの5~6月に内定が取れなかった学生たちへの直接の支援です。今の非常事態が収束してくれば、必ず復興事業で人手が必要になります。崩壊してしまった地方自治体などで、長期の災害復興ボランティアとして若者を活用し、その活動をしっかり記録し、将来の就職活動に資するキャリアとなるように。大学もそうしたボランティアを単なる留年とせずに学費免除の休学期間と認め、災害復興事業に関わる企業では極力インターンシップを設定して若者の育成機会として欲しいです。学生の方々の就職ができない不安も、被災地の現状を見れば吹き飛んでしまうでしょう。

 

今はまだ将来の夢や希望を語る気持ちにはなれないかもしれませんが、未来を強く信じ、いまこそ産官学が連携し、数年後には日本が世界に誇れる歴史をつくりあげたいものです。今回の震災に際して、規律を守って辛抱強く対応されている被災者の方々、最前線で勇敢に救助、支援、復旧に当たっている方々に心から敬意を表します。貧者の一灯。今月の原稿料は赤十字社を通じて被災地のために寄付させていただくことにしました。

 

第203号:新卒一括採用の良さ

日本の新卒一括採用はガラパゴス化しているので止めるべきだという発言をよく耳にします。しかし、今の日本では新卒一括採用のメリットの方が大きいと私は思います。それは、社会人育成を大学と企業が自然と連携して行っている有機的なシステムで、世界でもなかなか見ない良いものだからです。

 

新卒一括採用に反対の方の意見は主に以下のものだと思います。

1.新卒だけでは多様な人材が採用出来ず、企業が画一的な人材ばかりになる。

2.就職時の経済状況が悪くて就職出来ないのは本人の能力とは関係なくかわいそうである。

3.世界でこのシステムを行っている国は日本と韓国だけでグローバル・スタンダードではない。

 

それぞれに私の意見を述べてみると、まず1のような新卒一括採用だけしか行わない企業は既に少数派だと思います。30年前ならばともかく、いまでは新卒一括採用と中途採用の両方を使い分けている企業が殆どでしょう。また、画一的と言いますが、未だにそうした人材を重宝している業界も多いです。中央集権的な人事政策の大企業では、本社はエリートですが、支店は没個性のワーカーが望ましいと考えている企業は数多あります。

2については、不況になれば新卒採用も中途採用も止まるので(むしろ中途採用の方が先に止まります)、新卒一括採用制度の問題ではありません。また、そうした運・不運に左右されることを、不況期間が相当に長ければともかく、国や企業が支援することは妥当でしょうか?例えば、バブル崩壊期に一番、損をしたのは住宅(マイホーム)を購入したり、金融資産を運用する余裕のあった30~40歳の層で、いまだに重いローンを抱えている方もおりますが、その前後の世代はあまり影響を受けておりません。就職と財テクを同じに論じることはできませんが、好不況に個人が左右されるのはいつの時代でも同じです。むしろ私の懸念は、不況を理由にして学生がすぐに就職活動を諦めてしまうことです。

最後の3の主張は、採用方式というのは、それだけで存在しているのではなく、その国の法制度・教育制度・文化的背景と相まって、その国それぞれに形成されることを忘れています。世界の大多数と違うから変だ、というだけならナンセンスです。もし日本の大学が、世界の大学と同様に職業訓練に近い教育を行えるようになれば別ですが。

 

私は何が何でも新卒一括採用を継続すべきだとは思っておりません。リクルートワークスの大久保氏が主張するように、日本は新卒採用を世界で一番、うまく運用している国だと思っているだけで、いずれは通年採用の比率は高まってくるだろうと思います。しかし、仮にいま新卒一括採用をやめて一気に通年採用に移行したしたらどうなるか?メディアや識者の方は通年採用とは企業が一年中門戸を開いていると思い込んでおりますが、それは大きな誤解です。中途採用と同じく、必要な時期に必要な人員だけしか採用せず、しかも中途採用に近くなるので十分な社員教育は行わなくなるでしょう。

 

つまり、新卒一括採用の学生にとっての最大のメリットは、確実に企業の門戸が開く時機がわかるということと、即戦力でない若者を社会人のイロハから教育すると言う点です。日本の最強の職業教育は、企業の新人研修なのですから。そうした新人からの人間関係を通じて醸成される仲間意識や「恩」が、日本人の強さだと思います。これを忘れて通年採用に向かうのは相当に危険なことだと感じています。

 

第202号:学歴フィルターを乗り越える

2月12日販売の週刊ダイヤモンドは「就活の虚実」というタイトルでした。年に何度か見かける就職活動の特集号ですね。このような企画は何処かの就職コンサルタントが寄稿していたり総花的なものが多いのですが、今回はなかなか気合いの入ったものがあるなと見ておりました。例えば「学歴フィルター」の記事です。なかなか扱いにくいテーマですが、面白い取り上げ方をしてくれました。

 

今回の特集では、人気企業100社の採用担当者に「就活生が本当に聞きたいことをぶつけた!」と称するアンケートを行っています。これも毎度のあたりさわりの無い集計になっています。私もかつて回答したことがありますが、企業として公開で答えられるはずが無い設問が多いのですから、仕方ありません。「学歴フィルター」に関する質問などはその代表です。盗人に「あなたは泥棒ですか?」と聞いているようなものですから。

しかし、こちらも嘘をつくのは嫌ですから、こうした設問にはできるだけ都合良い解釈をして「嘘ではない」と自分を納得させて回答します。例えばこの学歴フィルターに関する質問は、『大学によっては採用目標人数(学校推薦含む)を決めている』となっております。こうした質問については、「我々は早慶上智をターゲットとしており、良い人材ならば何人でも(無限大に)取ることにしているので目標人数は決めてない。だからNOだな。」という具合です。(実際、採用仲間に聞いてみると、ターゲット校を決めている企業は多いですが、大学毎に明確に人数を決めているというよりは、東一早慶群で何人位、MARCH群で何人位という大括りの目標であることが多いような気がします。)

 

それで、今回の特集も「ああ、またいつものパターンか」と見ていたのですが、その次の項目の「覆面座談会」のページでは、人事採用担当者に「この質問にはウソをつかざるをえないでしょう。」と堂々と真逆のコメントを言わせています。おお、なかなかやるな、と思ってしまいました。

 

本当に学歴フィルターについて調べたいなら、アンケートよりも大学内セミナーの参加状況を集計してみればすぐにわかると思います。採用担当者の時間の都合上、ターゲットとしている大学にしか訪問できませんから。皆さんの大学を訪問される企業群もある程度、固定化していますよね?

 

さて学生にとっての問題は学歴フィルターの有無を確かめるよりも、どう対処するかです。「学歴フィルターのせいでセミナーの予約が取れません。」との不満を漏らす学生とは私もよく出会います。しかし、そうした学生はそこで諦めていることが殆どです。彼らにとっては「学歴フィルター」という理由があった方が自尊心を潰されなくて良いのかなと思わされます。

 

こんな時、内定する学生はダメ元でその企業に直接電話して、「貴社のセミナーに行きたいのですが、Web予約がとれません。どうすれば良いですか?」と直談判していますよね。このアプローチも既にマニュアル化されているので門前払いにする企業も多いです。しかし、このダメ元をする学生は行動力があるので内定率が高いです。私の教え子にもそうした学生がおりましたが、笑いながらこんなことを言っていました。「だって、有名大学に入る苦労を考えたら、電話の方が楽じゃないですか。」

ああ、やはりフィルターを乗り越えていくのはこんな子なんですね。

 

第201号:就職活動をさせるから就職ができない

学部3年生を中心とした就職活動が本格的に始まりました。学生は企業の訪問のために自己PRやエントリーシート(ES)の準備に余念がありませんが、無駄なことをやっているなあ、と感じさせられる学生が最近は増えています。大学で学んだことを、ちゃんと理解していれば、就職活動への対処もしっかりできるはずなのに、それができないのは、教員が教えていないのか、学生が学んでいないのか。

 

大学で学ぶことは無数にありますが、もっとも基本的なことは「事実」と「意見」を分けるということでしょう。アカデミックな視点とは、自分の思い込みや想像から語るのではなく、可能な限り調査・実験を行ってデータを集め、それを加工して情報にし、その分析から自分の「意見」を述べることです。

 

このことをちゃんと理解しているならば、就職活動において「行動実績」のない「自己PR」は全く意味がないことがわかるでしょう。仮に「行動実績」があったとしても、誰もが行っているようなものであれば競争力はありません。そして、それを冷静に評価するのが、今のコンピテンシー面接です。

 

私が冒頭で述べた無駄なことをしている学生とは、たいした行動実績が無いのに必死に自己PRやESを書こうと悩む学生たちです。志望企業にもよりますが、それは順序が違うというか、手遅れです。まずやるべきことは、何でも良いから他者と比較して可能な限り競争力のある行動実績をつくることです。

 

そうした学生達の簡単なアルバイト経験を、むりやりにカッコ良い自己PRに加工させるような就職指導は時代遅れで、ファーストフード店でハンバーガーを販売した経験を「マーケティング活動」などと言わせるようなものです。当たり前のことですが、「行動実績」は一朝一夕にはできません。しかし、それがあれば自己PRやESは比較的短時間にできあがります。

 

私が言いたいのは、3年生の春休みに就職活動をさせるのは、その実績作りの貴重な時間を奪うことである、ということです。小学生からの長い学生生活の頂点で、もっとも余裕があるこの時期に、仕上げの「行動実績」つくりをさせずに就職活動をさせるということは、就職できない学生を生産することになっていませんか?

 

12月から始めないと学生が企業理解不足でミスマッチが発生する?仮にどんなに時間をかけても、学生が企業や社会を完全に理解して就職できるはずがありません。ミスマッチを無くすなどとは幻想で、ミスマッチがあるからこそ若者は社会で育つのです。夏休みからでは卒論に間に合わない?理系の研究活動などは、一番立派な学生の「行動実績」です。その実績をうまくPRできないなら、それを引き出すことこそが採用担当者の仕事ですし、推薦制度とはその補完のために始まったものでしょう。

 

学生に1年以上の長期の就職活動を求める企業群には言いたいです。それならば、学生の勉強ではなく、就職活動を評価すべきです。一番、力を入れたことは何ですか?という質問に「就職活動です。」と答える学生をちゃんと評価して下さい。

大学生の正しい就職活動とは「行動実績」つくりのことです。今の就職活動と呼ばれるものは本当に就職活動なのか?それとも就職活動の勉強をしているのか?私には「就職騒動」に見えるこの頃です。