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第220号:オリンピック選手から学ぶこと

私は今年から筑波大学でスポーツを専攻する学生達を対象とした講義の一コマを担当しており、9月に「アカデミック・アスリート」というテーマでスポーツを通じた大学生のキャリア形成についてお話ししました。この講義はトップアスリートとなったスポーツ選手の講話から、選手として教員として、そして社会で事業を展開するビジネスパーソンとしての智慧を学ぶとても面白い授業です。その最終回で、冬季オリンピック・フィギュアスケート部門で金メダルを取られた荒川静香さんのお話がありました。私も1聴講者となって拝聴していたのですが、そのお話もまさに金メダル級の内容で、スポーツ選手だけではなく、すべての学生の参考にもなるものでした。

 

荒川さんのお話の全てをここでは書ききれませんが、これから就職戦線に臨む学生の方々に役立つと思われることを1つお伝え致します。それは、自分の短所に目を向けるということです。最近は自分の長所を伸ばすという考え方をする人が増えているようですが、荒川さんの場合は自分の短所を徹底的に見つめ、それが長所になるほどに対策を考え抜いています。自分の短所に目をつぶるのは、自分の可能性を閉じてしまうことだと話されていました。また、荒川さんは実はプレッシャーには弱いそうです。しかし、それに負けないために、考えられる全ての事態を想定してその対策を考え続けることで無心になって努力されています。最近のオリンピック選手は「楽しむ」という言葉をよく使いますが、荒川さんはそれを「楽しめるくらいに努力した人が勝つ」と考えており、それは「楽しむ」を単なる精神論ではなく技術論に高めているということです。

 

ちなみに荒川さんは早稲田大学の受験に際し、あえてスポーツ推薦を避けています。授業もどんなに練習が忙しくても友人からノートを貰うのではなく、自ら授業に出席して勉強したそうです。更に生活費のためにコンビニやファーストフードでアルバイトまでされていました。こうしたふつうの学生として過ごすことを大事にする点は、毎日の積み重ねの習慣が大きな成果を招くことを知っているスポーツ選手らしいと思います。

最近、荒川さんは15歳の高校生向けの著書を出されましたが、この本は勇気や元気を貰いたい大学生にとっても非常に参考になります。就職戦線を前にしてプレッシャーに負けそうな学生にはきっと良いものが得られるでしょう。荒川さんの大学時代の就職活動についても触れられており、就職課の片隅におかれても良いですね。是非、一読をお薦め致します。

 

▼参考URL:筑波大学勇者の鼓動-未来を創るスポーツ王国論Ⅱ

http://www.tsukuba.ac.jp/education/g-courses/detail.php?subject_id=211

▼参考URL:筑波大学最新情報「プロフィギュアスケーターの荒川静香氏が本学で講義」

http://www.tsukuba.ac.jp/topics/20111122095725.html

▼参考URL:茨城新聞「短所に向き合い克服」荒川静香さん、筑波大で公開授業」(2011/11/15)

http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13212774117191

▼参考URL:「乗り越える力」荒川静香著、講談社

http://www.amazon.co.jp/dp/406216910X/ref=pd_sim_b_2

 

第219号:論文を修了要件にしないのは?

この夏、中教審から「大学院では修士論文を必須の修了要件にしない」という提案が出され、文科省で要綱として策定されました。大学教員からは嘆かわしいことであるという声を多く耳にしましたが、企業採用担当者にとってはそれほど大きなインパクトには見えなかったようです。論文作成を通じて学生の学ぶものが、企業で求めるものとは異なると感じているからでしょう。このズレは、学生にとっても企業にとっても非常に不幸なことだと思うのです。

 

私自身、論文作成を経験してみて様々な能力が身に付くことがわかりました。大きな課題に取り組むための長期の計画性や忍耐力、論拠を提示しながら説明する客観性や文章力、そして口頭諮問におけるプレゼンテーション力等、様々な能力が開発されます。しかし、それ以上に驚いた発見は、学部学科や教員によって評価基準と指導方法が全く異なることです。当然ながら、育成される学生の経験値や資質も異なり、結局、就職活動において論文作成をアピールできる学生とできない学生に分かれてしまいます。

 

もしも形式重視の教員に指導されたならば、文章のお作法や手続きについてカッチリした論理性や秩序を重んじる資質が身に付くでしょうし、もしも発想重視の教員に指導されたならば、形式よりも斬新なアイデアや感性を重んじるようになるでしょう。指導方法についても、定期的に報告を求める教員と必要な時にだけ指導する教員とでは、学生の計画性や自主性についても差が出てきます。

 

一方、面白いもので、大学でしっかり勉強して論文もしっかりまとめてきた採用担当者は、面接において勉強内容について質問することが多いです。採用担当者は、面接において自分のもっている判断基準(経験値)によって判断するからです。私自身も法学部出身だったので、法学部の学生の面接は私が全員を担当して勉強している学生かどうかを見極めておりました。

 

ところが悲しいかな、(文系学生の採用選考では)このような勉強内容を中心に深く質問する採用担当者は少数派です。多くの採用担当者は、学生時代に勉強が苦手で判断基準をもちえなかったか、勉強以外の要素を重視しているからでしょう。論文作成については、早期化の影響でまだ質問できる時期ではないということもあります。採用活動を遅らせると論文作成に支障がでるという大学関係者もおられますが、私は反対で、勉強の集大成である論文作成について質問できない時期に面接を行う方が大学教育軽視だと思います。

 

多くの採用担当者は「最近の学生が面接で語る頑張ったことは、アルバイトとサークルばかりだ。」「最近の学生は勉強についてまず語らない。」などと嘆いています。しかしそれは逆で、採用担当者が聴かないから学生が語らない(勉強しない)のかもしれませんね。となると、日本の大学生に勉強して貰うには、しっかり論文を書いて貰うには、まずは企業採用担当者に大学院に入学して貰って勉強して戴くのが先決かもしれません。

やぶ蛇になってしまいましたが、採用面接で優秀な成績の学生を何気なく褒めたとき、その学生が満面の笑顔になって「初めて面接でそんなことを言われました。」と迷わず入社を決めてくれたことが忘れられません。勉強だけが大学ではありませんが、もうちょっと勉強について面接の話題にして欲しいと思うこの頃です。

第218号:「stay hungry, stay foolish」

「ハングリーであれ、馬鹿であれ」。アップル創業者であるスティーブ・ジョブズ氏が大学を卒業する若者たちに託した言葉であることはご説明するまでもないでしょう。この言葉が発せられたスタンフォード大学での「伝説のスピーチ」のビデオは、私も授業で何度となく使っており、多くの学生に感動と勇気を与えてきました。いま、就職活動をする学生達にも、採用活動をする企業人事の方々にも、改めて見て戴きたいと思います。型にはまった就職活動や採用活動から抜け出すために。

 

インターネットが一般的なものとなって約10年、世界中の情報が驚異的なスピードで、圧倒的なボリュームで、革命的な低コストで入手できるようになりました。しかし、今も昔も人間の情報処理能力はそれほど変わりません。ということは、現代の高速莫大格安情報社会に、その付き合い方を注意せず入り込むと、人間は考える力を奪われ、無数の情報に振り回され、その結果、無思考に与えられた作業を繰り返すことになります。

 

翻って、この10年の就職活動・採用活動は、ひたすら情報の扱い方に学生も企業も追われ続けてきたのではないでしょうか。その結果、多くの学生が個性を失い、多くの企業が画一的な採用活動を行うようになりました。

「Web登録⇒エントリーシート(ES)⇒セミナー⇒筆記試験(Webテスト)⇒面接」

津波のように大量の学生が応募し、洪水のようなESを企業が選考しています。

そして、いつの間にか学生は企業が用意しないと就職活動ができなくなり、いつの間にか企業は個性的な選考方法を考える力を失ってきました。

 

しかし今シーズンは、そうした惰性のような就職活動・採用活動を見直す機会になるのではないかと思います。企業が12月までセミナーを開かないから就職活動ができないなんてことはありません。そもそも就職活動は、企業が用意したラインに乗ることだけではなく、社会を理解する、仕事を理解するためにはいくらでも方法はあります。バイトやインターンシップが無くたって、敬語やビジネスマナーやロジカルシンキングを身に付けることはできます。

 

個人情報保護でOB・OG訪問がやりにくいという人も居ますが、無理も限界も人間が頭の中で作り出しているものです。頭はダメな理由を考えるのではなく、できる理由を考えるために使うべきです。

それでも良いアイデアが出なかったら?そんな時の呪文が、「stay hungry, stay foolish」です。

 

この言葉は、へこたれずに無駄を考えずにやってみるということで、就職活動をする学生にも個性的な学生を採用したい企業にも良いメッセージです。前回ご紹介したネスレ日本の採用担当者の方は、「正直この新しい企画がどうなるかは未知数です。」とおっしゃっていました。でも、大事なことはチャレンジしてみることです。

「stay hungry, stay foolish」ジョブズ氏のメッセージを今こそ大事にしたいものですね。

 

第217号:ネスレ日本の「シーズンレス採用」

10月初旬、都心では内定式に向かうリクルートスーツの学生集団を多く見かけました。キャスターバッグを引っ張りながらにこやかに歓談しているので就職活動を終えた4年生達とすぐにわかります。一方で例年とは異なり、緊張した顔つきのリクルートスーツの3年生はあまり見あたりません。企業の採用活動自粛の効果が現れているのでしょう。しかし12月になれば、一気に企業も3年生も動きだすことでしょう。今は嵐の前の静けさというところです。

そんな中、この9月からネスレ日本が新たに始めた採用活動は注目に値すると思います。就職時期が早いとか遅いとか侃々諤々の議論をしている日本企業とは対照的な「シーズンレス採用」とでもいうべき興味深い試みです。この採用方針をご覧になった方からは「やっぱり青田買い(早期化)だろう」と伺ったこともありますが、早期化とシーズンレスは全く異なります。

 

ネスレ日本の新しい採用活動は「ネスレパスコース」というもので、新聞報道もされたのでご存知の方も多いと思いますが、就職活動の時期と採用選考の形式を学生が自由に選べるという点が特長です。(詳しくは下記の参考URLをご参照下さい。)

現在の日本の新卒採用は、同時期に集中して膨大に行われるので、企業にも学生にも負担が大きく、しかも同手法(エントリーシート、適性検査、面接等)で行われますので、評価出来る応募者の資質も実はかなり偏ったものになっている可能性があります。また、こうした採用選考手法は相当に学生や業者に研究されていますので、対策マニュアルが完備され、結果的にこれが学生を画一化してしまっている危惧すらあります。採用活動の大学受験化ですね。

 

さてそれはさておき、私が特に興味深いと思ったのは更に2点にあります。まずはこの採用選考で求められているものは、結局、有意義な大学生活とアカデミックスキルだということです。与えられた課題(チャレンジ経験、異文化経験等)は、どれもただ何となくアルバイトやサークル活動をしていただけでは通るものではないと感じます。つまり大学生活において、どれだけ自分の世界を広げたか、どれだけ大きな経験をしたか、そしてそれをしっかりと表現できるのか、ということが問われているようです。

 

次に、この企画が日本法人社長(CEO)の個人的な想いから発せられている点です。企業の採用活動のサイトで社長が求める人材を語っているのは珍しくありませんが、社長がここまで採用選考の手法や想いを現しているものはあまり見かけません。実は、私も当初はこの採用方針は海外本社からの指示に従って、日本法人がグローバルスタンダードに合わせているものだと思いました。しかし、直接同社の方に話を伺う機会があり、日本の採用活動が一斉に行われていること、面接という手法だけで人物がわかるのか?という社長のシンプルな疑問から日本法人で考え出された企画だと伺いました。

 

この新しい採用活動は、かなり手間暇のかかるものだと思います。しかし、良い採用活動は手間暇をかけなくてはいけないものです。それは単純で膨大な予算をかけた横並び型を無思考に行うというものではありません。この新方式が、どのように学生に受けとめられるか注視していきたいと思います。

 

▼参考URL:ネスレ日本新卒採用「ネスレパスコース」

http://www.nestle.co.jp/Recruit/newgraduates/Pages/newgraduates.aspx

第216号:戻ってきたオフシーズン

台風水害で影響のある方々にはお見舞いを申し上げます。大学関係者の皆様におかれては、学生の通学や授業の実施について神経を尖らせていることと思います。

 

今年の自然災害は歴史に残る大きなものとなってしまいましたが、企業の採用活動についても今年は大きな転換期となります。倫理憲章の設定による3年生(2013卒)向けの採用活動の見直しは明らかで、私の本業の採用コンサルティングにお伺いしても、採用担当者の方々は12月からのロケットダッシュ・スタートの準備に余念がありません。既に12月以降は春までスケジュールがぎっしり入っておられます。

 

その反面、10~11月は何をしたら良いでしょう?という相談も多いです。表だった動きはできないけれど、何もしないのも落ち着かず、何かできないか?という悩みです。リクルーターや流行のソーシャルメディアでアンダーグラウンドの採用活動を進めている企業もありますが、私はこれを機会に採用担当者がオフシーズンになってしまえば良いと思っています。実際、1990年代の半ば頃まで、採用担当者は7~9月は仕事が少なくて毎日定時に帰宅できました。10月頃から広告媒体や採用DMの準備などが始まると一気に忙しくなり、人事部内の季節労働者と言われていたものです。

 

ところがITメディアの登場によって、Webサイト対応が始まり、エントリーシートが始まり、採用インターンシップが始まり、早期化がどんどん進み、その結果、採用担当者は1年中多忙となりオフシーズンを失ってしまいました。そして、何かしていないと落ち着かない精神状態になってしまったわけです。元々、(採用)広報活動というのは、ここまでやれば大丈夫というゴールは見えづらいもので、学生の悩みである「何社回れば良いのですか?」という心理と似ています。

 

しかし、採用活動も就職活動も長ければ良いというものでもありません。加熱した仕事を続けていると、この仕事をやっていて良いのだろうか?という重要な問題を考える機会を失います。これはどんな仕事でも同じでしょう。流行のゲームに興じ過ぎる若者が、夢中に続けている(続けさせられている)ことに気づかず、無思考状態になり、考える力や習慣を失っていくのも同様です。

 

活動シーズンが短いと就職できない学生が出るという人も居りますが、私の経験からすると、決まる人は早く内定するし、決まらない人は(同じことを)いくらやっても、根本的なところを変えないと内定は出ません。だからこそ、採用担当者も大学も学生も、今年を機会に就職活動のオフシーズンを取り戻し、冷静になって考えるようになって欲しいと思います。

 

自然災害は如何ともし難いものですが、若者を育てる環境破壊は人災です。高い理念と深い人智を持ってすれば、必ず立て直すことができると思います。

 

 

第215号:保護者の就職支援スタンス

最近は大学の保護者会の講演に招かれる機会が増えてきました。ご依頼内容は何処の大学でもほぼ同じで、「企業の求める人材像」「応募学生の傾向」「面接に臨む心構え」等が中心です。採用面接をしていると、良くも悪くも「親の顔が見たい」と思うことがしばしばありますが、まさかそうした機会が本当に訪れるとは思いませんでした。採用担当者はいまや親の教育成果を評価させられているのかもしれません。

講演では更に、「親としての就職支援」ということも依頼されることが多いです。しかし、これはなかなか難しいテーマです。というのは、採用担当者はエントリーシートの評価・採点はできても、添削はできないのと同じで、目の前の学生の人物評価はできても、どうすれば内定するかという答えなど持ってはおりません。ましてや応募学生以上に複雑多様な家族関係についてコメントするなど畏れ多いことです。同じコメントで、ある親御さんは満足したのに、ある親御さんは怒るということもありますし。(一歩間違えればモンスター化です。)

とはいえ、過保護にすると言うのではなく、若者の自立に親の支援というものが今まで以上に必要になった時代だというのは間違いようです。社会が高度に進んだ国家では人間の成熟(独り立ち)は遅れます。世の中が高度・複雑になるほど、求められる知識やスキルが多くなるのですから当然で、先進国には共通して見られる現象です。しかし、若者の自立支援とは、学生の成人としての自立を妨げるものであってはなりません。環境を与える、整えるということが、逆に学生の自立を妨げている可能性がないか気をつけたいところです。

具体的な例をあげましょう。残念ながら私には子供がおりませんので、大学授業の中で親の成すべきことを考えさせられた例をひとつ紹介します。授業において私語をする学生の問題です。私の授業では私語を許しませんので、講義をしっかり聴きたい学生には授業評価アンケートでも幸いながら好評です。私語や爆睡する学生を教室から追い出したこともありますので、直接学生からも「良かったです!」「他の先生は放置状態なんです。」と感謝されることもあります。それを聞き、最初は私も悦に入っておりましたが、今は「ちょっと待てよ」と考え直しております。

というのは、こうした静かな授業環境を望む学生は、往々にして真面目で成績優秀な人物です。しかしその反面、タフさに欠ける、自分の環境を自分で整える力に欠けている可能性があります。本当に望ましいのは、もし周りで私語をして迷惑な学生が居た場合、教師や授業評価アンケートに書き込むのではなく、直接その場で、その学生に注意できる学生のはずです。これは、公共の交通機関で高齢者に自分の席を譲るというのと同じ感覚ではないでしょうか。(流石に電車の中で騒ぐ乗客には、相手をよく見てから注意した方が良いご時世ですが。)

与えた環境の中で、子供に自立のチャレンジをさせるのは、親にとっても大変な勇気のいることだとは思いますが、保護者の就職支援についても、まずはこうした本当の自立について親のスタンスを見直して貰うところが最初ではないかと思います。

第214号:講義レポートとエントリーシートの見た目

早いもので8月も1週間を残すところとなりました。大学教務課では前期試験の採点回収や成績通知の準備に追われている時期ですね。私もなんとか前期の成績評価を終えました。教員としてレポートや試験答案の採点を行っていると、エントリーシートの選考を行っているのと全く同じ気分になります。その採用選考基準のうち、もっとも影響の大きな「見た目」について触れましょう。

エントリーシートは文章ですが、面接と同じくまずは見た目が大事です。読みやすさからは、ワープロで書いて貰った方が採用担当者も楽なのですが、あえて手書きのままの企業が多いのは、その方が応募者の個性や能力に関する情報が多く得られるからです。また、偽装受験防止という理由もあります。そして、「読む」前に「見る」のは以下のような点です。

回答スペース全体を使っているか。

文字数の指定がなくとも採用担当者や大学教員が用意した回答欄や用紙は、その80~90%位が埋められることを期待しています。つまり、あえて文字数の指定をせずに、本人がどう判断するかを見ているわけです。言われなければスペースを埋めない応募者は、自己判断力・行動力・積極性に欠けると感じます。広いスペースにほんの1~2行という回答で終えている(空きスペースの方が80~90%)という信じられない回答を今年もたくさん眼にしています。こうした学生は、書くときに自分の視点で書いていて、採点者がどう感じるかという点に思いがまわらないのですね。

・記入する文字のバランスは良いか

極端に大きな文字、小さな文字、くせ字は敬遠されます。この文字の大きさなども指定しませんが、通常は答案用紙に書かれている問題文章の文字の大きさや、回答用紙に罫線があればその幅を参考に書けば大丈夫です。問題文章はワープロで書かれておりますので見やすいですが、手書き文字の場合は、その文字よりも2~3割増しの大きさが良いと思います。女子学生でよくあるケースですが、どうやって書いているのかと思わされる豆粒のような文字を書かれては(高齢の)採用担当者は読む気が失せます。

・文字の線幅筆圧は十分か

試しに書いてみればすぐにわかりますが、回答欄の枠線よりも太い文字、濃い文字にすると文字が浮かんできて非常に見やすくなります。これも女子学生に伝統的に多いことですが、罫線よりも細くて薄い文字を使用する方がおります。これでは逆に枠線に沈んでしまって、主張力や存在感も薄くなってしまいます。なので、皆様も学生に指導されていると思いますが、今は水性ボールペンの7mm位のもので書くのが良いと思います。それほど筆圧を書けなくても疲れずに書くことができます。

このように大学で無数に接する文章を書く機会は、そのままエントリーシート作成の絶好の練習になるのですが、残念ながら学生にとって大学講義レポートや試験では、エントリーシートほどの緊張感がないようです。そのため、それを採点する教員の方が読むのに苦労して泣かされているわけですが、そうした書き方の工夫をしていない学生は、就職活動の時期になってから本人が泣くことになります。

 

第213号:欝の次は躁なのか

ネット上での若者のつぶやきが社会に大きな波紋を与えています。有名人のプライバシーの暴露はゴシップ雑誌の十八番でしたが、ネットがメディア化した現在は誰でも簡単に加害者になってしまいます。今週、ついに採用面接の実況中継(当該企業は架空のものと否定)まで現れてしまいました。これまでは「最近の若者は・・・」と怒っていたのですが、どうもこれは様子が違うような気がしてきました。採用担当者にとって新たな課題が出てきたのかもしれません。

 

採用担当者に内定者や新入社員の採用において不安な点は何ですか?と尋ねると、この10年で一番多くなってきたのはメンタルヘルス(うつ病)です。何か良いアセスメントツールがないかと今でも悩んでいる採用担当者は多いのですが、今回の現象は真逆です。公共の場で、何のためらいもなく秘守すべき情報を公開してしまう、それも「2ちゃんねる」のような匿名サイトではなく、すぐに書き込んだ自分自身が特定されてしまう環境で。皆さんも、何故こんな簡単なことがわからないのか?と疑問に思われたことでしょう。私も同様に感じていたのですが、ここ数年の大学授業における学生のレポートを見ていると思いあたることが出てきました。

 

大学のレポートは、それなりの要件が整っていないと加点できないものですが、ここ数年、レポートの書き方がわからないというレベルではなく、「これを書いたら教員はどう感じるのか?」という視点がまったく無い文章が増えてきました。例えばゲスト講師を招いた講義で、講師に対しての感想を書かせると、「今日の話はイラついた。」「この講師は苦労していない。」というものから、若い女性講師に対しては「彼氏いる?」 等々、教員である私やゲスト講師が読むとわかっていながら書いてくる神経は、とてもふつうとは思えません。こうした文言を書いた学生本人に問うたところ、笑いながら返ってきた言葉が、「え?だってノリじゃないですか!」。私は一瞬、言葉を失いました。

 

こうした学生の傾向は、かつて日本青少年研究所の千石保氏が、著書『「まじめ」の崩壊』(サイマル出版会、1991年)で「ノリの文化」として指摘しておりましたが、それがどんどん「悪ノリ」してきているようです。大学講義で悩ましくなってきたのは、本来行いたい教育のスタートラインがどんどん手前になってきていることです。躾云々など親でもないのに言いたくありませんが、私もついにシラバスの評価基準に「受講態度」という言わずもがなの文言を書き加えるようになりました。

 

さて採用担当者の視点に戻ると、採用する新入社員については、欝状態よりも躁状態の方が怖いと思います。鬱状態の社員は対外的に目立つことはまずありませんが、躁状態の社員は、上記の通り、会社の内部情報を公開してしまう恐ろしいリスクになるからです。ホンの何気ないつもりのつぶやきが、会社の信用を地に落とし、取り返しのつかない被害になりえます。しかも、躁状態が軽い場合は、採用面接やグループ・ディスカッションにおいて、積極的で明るい人格と誤判断される可能性があります。

 

ロンドンの若者の暴動も、携帯メールでのささやきが集団行動を扇動しているそうですが、若者を育てている現代社会環境の荒廃という点で地脈が通じていると思うのは考えすぎでしょうか。ともあれ、今回の一連の出来事を見ていると、採用担当者も他山の石として考えなければならないと思います。

第212号:キヤノンの大学別新卒説明会

ネット上でキヤノンの大学別新卒説明会が「学歴差別」だと話題になりました。日本人(というよりもマスメディア?)はこの言葉が本当に好きなんですね。これはおそらく採用担当者の単純なうっかりミスでしょう。企業の広報活動も担う採用担当者としては不注意だったと思います。

 

そもそも企業の採用活動は自由であって、縁故採用だけでやろうが、指定校制度をやろうが、先着順位採用をやろうが、世間に迷惑をかけない限り、何の問題もありません。日本中のすべての企業が同じ基準や方法で採用活動をする方が不気味です。しかし、世の中にはいろんな理解をする人がおられますから、いたずらに誤解を招いて自ら風評被害やクレーマーを呼び込むようなことは避けたいものです。ネット時代の今は一気に情報が拡散しますし、有名大企業の採用担当者は世間への影響も大きいので特に注意が必要です。

 

公開されてしまった画面を見ると、受付学校順が偏差値順になってしまっていて本音(?)が丸見えです。これは完全な配慮不足で通常の採用担当者の感覚ならば、ここはふつうアイウエオ順にするか、せめて「並び順は応募者の多い学校順です」と説明を付記するところです。公開している企業の採用実績校の並び順と同じように。(採用担当者は採用実績校を何処まで出すか結構、悩みます。スペースの都合で全学校を掲載するのは困難なときは、採用実績数が少なくてもターゲットにしたい学校を優先してあげるものです。)

 

私は今回、キヤノンの方のコメントの(「学歴なんてどうでもいい」)方も少々気になりました。こういった場合、ノーコメントというのも多いのですが、それを回答した同社には敬意を表します。しかし、大学教員のはしくれとしては「学歴は重視していますが、学校名はどうでも良いと思います。」と言って欲しかったです。勿論、ここで私が言う「学歴」とは、ちゃんと勉強した学習歴のことです。今はちょうど期末試験の時期なので、学生のレポートを採点していると、ちゃんと学習している学生はよくわかります。それが仕事力に直結しているとは限りませんが、少なくとも企業のエントリーシートの選考基準とは相当に近いと感じています。

 

今回の件で、仮に「学歴差別」が声高に指摘されたとしても、企業採用担当者は泰然としていれば良いと思います。これも期末試験の時によくあることなのですが、いろいろクレームを付けてくる学生には本当に勉強をしている学生は少ないです。以前も学歴フィルターのテーマで書きましたが、本当にできる学生は、環境に文句をつけている暇があったら環境を乗り越えようとします。これは仕事力とも似ていて、できる社員は難問に対していつも対策を考えますし、できない社員はいつも言い訳を考えます。

 

▼参考URL(J-CASTニュース)

「露骨な学歴差別なのか キヤノンの大学別新卒説明会」

http://www.j-cast.com/2011/07/20101639.html

 

 

第211号:東大の秋入学を考える

日経新聞トップ記事になるとは驚きましたが、東大が秋入学への全面的移行を本気で検討するそうですね。安倍元総理の置き土産だとの噂もありますが、採用担当者の視点で考えてみましょう。

 

採用担当者にとって、まず気になるのは入学時期の変更よりも卒業時期の変更です。卒業時期が半年延びることにより、またまた採用活動(就職活動)が延びるのか、それともこれを機会に採用選考時期が総合商社の主張の通り後ろ倒しになるのかということです。

結論から言えば、秋入学への移行が東大だけならば、採用担当者にとってあまり影響はないでしょう。なぜなら東大生というのは採用市場では特殊なマーケットで、全体からみれば少数であり、東大生の採用数にこだわるのは伝統的な大企業に集中していますから。他の大学が、東大に倣って一気に変更しない限り、たいしたことはありません。企業で言えば、パナソニックやソニーが既にグローバル採用に移行しているのと同じで、そうしたグローバル人材を本当に必要としており、本当に使いこなせる日本企業はそうは多くはありません。

 

次に、東大の狙いである海外の優秀な留学生が本当に日本にやってくるならば、それは採用担当者にとって有り難いことです。というのは、わざわざ海外のジョブフェアに出張しなくても、国内で日本語のできる優秀な留学生とコンタクトする機会が増えますから(数少ない海外出張を楽しみにしている採用担当者は別ですね)。

一般に海外からの留学生は、卒業後に母国にはすぐに帰らずに留学先で母国より待遇の良い就職先を求め、そしてキャリアを積んだ何年後かに帰国することが多いです。採用担当者にとっては、採用後にいかに定着させるかという努力が求められるようになりますが、日本国内に住んだ留学生は日本(企業)の良さがわかりやすいと思います。

 

さて、今回の改革に際し「秋入学は世界標準だから」という論もあります。日本の大学の入学時期が欧米各国とズレているから留学生が日本に来づらいという論ですが、ここで指摘したいことがあります。(本当は学問水準に魅力が無いのかもしれませんが、それは東大とはいえあまり明らかにしたくないことでしょう。現実的には日本語の授業が殆どなので来づらいことの方が大きな気がします)。

それは世界から優秀な人材を集める海外有名大学の殆どは「私学」であるということです。世界中から優秀な人材を集めて大学の研究成果をあげ、大学への寄付金・支援金を集めるというのが経営戦略です。しかし、東大をはじめとする莫大な税金を投入する日本の「国立」大学は、私益ではなく国益をしっかり意識して欲しいということです。つまり東大は設立基盤が世界標準型ではないということですね。だから海外の留学生への投資が簡単に海外流失しないように十分に考えて欲しいものです(ODAのように「世界益」という思想ならそれはそれで良いですが)。

 

最後に、入試時期の変更をせずに入学までの半年間をギャップイヤーとするならば、日本人東大入学者は全員、海外留学を必須にさせたらどうかと思います。税金で海外留学に行けば、多少は使命感や愛国心も感じてくれるでしょうし、国内で5月病にもならないでしょう。こうした機会が日本と世界の未来を背負う若者の成長機会になるのなら、堂々と税金を投入すべきだと思います。