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第342号:キュレーションサイト炎上から学ぶこと

昨年から世界中で激変の出来事続いておりますが、最近炎上したキュレーションサイトについて大学生の関わりが気になっています。

 

私は大学時代に法学部で無体財産法(今は知的財産法と呼ぶのが普通です)を学び、知的創造活動に価値を認めるのはとても人間らしい学問だと思いました。しかし、その権利をグローバルに認めすぎると発展途上国は勝てなくなる矛盾もあり、ビジネスとして無制限に認めるのも悩ましい世界です。

 

知的財産は元々自分の財産を他者に使わせない(自分で独占して使う)権利だったのですが、社会が発展するに従って、その権利を他者に使わせることで収入を得るという公法から私法的な性格に変わってきました。そして現在の爆発的なネット社会の拡大によって、この権利が軽視されてきています。

 

この権利の意義や重要性は学ばないと価値も課題も理解できません。素人の実践は危険です。特に三次産業比率が高くなった日本では、ソフトの世界で働く人間ほどソフトについて高い意識が必要です。一般常識である善管注意義務以上のプロ意識が求められ、自分と他者の権利をしっかり尊重しなければならないのです。ところが、ネット社会はあまりに他者の知的財産の流通が激しく簡易であるため、いつしか大事なプロ意識や経営責任や順法精神が忘れられ、今回の事件を招いたのでしょう。

 

無体財産がローカルの問題からグローバルに、そして急速にネットに展開されている今、改めてこの世界の経営者は学び直さないといけません。知らずに従業員や社会を誤った方向に導いてしまいます。

 

カタカナは便利です。怪しいものもカタカナにするとイメージが良くなります。キュレーションといえばカッコ良いですね。しかし本職のキュレーターは目利きのできるプロで、博物館の膨大なバックヤードの財産の中から厳選して展示し、引用元を示すし複製品・模造品とも明記する専門家の仕事です。そうした能力や意識を持たずに、世間の情報を組み合わせて捏造したまとめサイトに広告まで貼り付けるなら、秘宝館・珍品館です。

 

この問題の裾野は大きいです。大学生にとっての関係では、卒論やレポートの剽窃問題、そして以下のURLに示したような綺麗なオフィスでインターンと名付けられたブラックバイトがあります。知らない間に学生がこうした世界に鈍感にならないように、キラキラ見える仕事の本質を見極める智慧や仕事へのモラル感を授けたいです。それが大学で学ぶ意義だと思います。

 

研究や教育や立法や行政よりも遥に速くこの世界が広がっています。原子力や遺伝子工学などと同じく、人間は未知で魅力的で危険なものとの付き合い方を学ばなければなりません。進化を止めるのではなく制御する智慧を期待したいものですね。慌ただしい授業や就職指導の中で、今年もしっかり学生を指導しましょう。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

▼「MERY」記事量産の現場 「90分に1本のノルマ」インターンが証言

http://withnews.jp/article/f0161209003qq000000000000000W00h10301qq000014399A

第341号:採用の書類選考と新方式入試の記述試験

何かと世間を賑わしている2020年の「大学入試改革」です。先月の報道では国語で導入される「記述式」試験について話題になりました。インターンシップ選考で処理選考の相談される日々なので、比較して考えてみましょう。

 

国大協の発表では思考力や表現力を測るため、新テストの国語の記述式問題は、解答文字数が80字以下の中難度と80字を超える高難度の2種類を出題するプランが出されました。その採点基準について選考の負担と基準について巷の議論が紛糾していますが、これは企業の処理選考の履歴書やエントリーシートの書き方と似ていると思いました。以下の通りです。

 

・80字以内の中難度(⇒履歴書レベル)

       ⇒何をやったかという事実のレベルで、体験程度の評価

       ⇒誰でもできること(常識・基礎力)

・80字以上の高難度(⇒エントリーシートレベル)

       ⇒文書の論理構成力の選考で、能力程度の評価

       ⇒他者とは違うこと(個性・応用力・論理表現)

 

学生は履歴書とエントリーシートとの使い分けを意外と知りません。両方とも口語体で似たようなものを書く人が多いです。私は、履歴書は「面接の会話のメモ」「質問して欲しい項目リスト」を考えています。80字以内の記述式試験のように、この文字数では「思考力」や「論理構成力」は読み取れません。故に、何をやったかを「事実」として簡潔に(数値と固有名詞を使って)表現しているかを見ます。その体験が、100人中何番になる希少性かという点です。エントリーシートでは、文字数がこちらで指定できるので(通常は300字程度にします)接続詞を使った論理構成力を評価しています。

 

こうした表現の使い分けができるかは、やはり国語教育にかかっていると思います。しかし、日本の小中高教育では生徒は論理的な文書の書き方を習いません。夏休みの思い出や読書感想文を「自由に表現しなさい」という指導です。以前から言語学の研究者からは指摘されていますが、これでは「思考力」も「表現力」も学生個人の能力や努力に委ねられてしまいます。このためには文書の形式(論理的な思考力と表現力)を指定した指導が必要です。(そうした文書力の無さを、日々、大学授業のレポートで痛感させられており、大学でしっかり教育せねばと思います。)

 

余談ですが、もうひとつ心配があります。それは学生の悪筆をちゃんと認識できるのだろうか?ということです。採点より下手くそな文字の「解読」の方に時間を取られるのが今の大学生の筆記試験です。これは最新のAIでも悩まされると思います。

 

▼参考URL:大学入試に「記述式」導入、全国一律では無回答が続出する(ダイヤモンド・オンライン)

http://diamond.jp/articles/-/110227

第340号:わかっているようでわからないコミュニケーション力

経団連が定期的に行っている会員企業人事採用担当者へのアンケートが公表されましたが「選考時に重視する要素」では、13年連続でコミュニケーション力がトップでした。何処が調べても不動の1位で居続けるのはジョコビッチもびっくりです。しかし、その意味・意義についての解釈には十分とはいえないところがあります。

 

このアンケート結果を論じるにはいくつかの視点があります。ここでは以下の3つの視点を挙げてみたいと思います。

1.コミュニケーション力という言葉がちゃんと理解されているか?

2.学生のコミュニケーション力の有無は問題なのかどうか

3.企業の期待するコミュニケーション力は大学で習得できるのか?

 

まず、「コミュニケーション力」という言葉は業界や企業や人によって捉え方に幅がありますので、意外と誤解を生みやすい言葉です。更に、社会(企業)と学生(大学)でも意味が微妙に異なります。例えば学生に「コミュニケーション力とはどういうものですか?」と質問すると殆どの学生が「相手の話をちゃんと聴いて理解して適切に対応すること」と答えます。これは全くその通りですが、企業からすればそれは当たり前のことで、その先まで求めています。というのは、学生の世界ではコミュニケーションそのもの(プロセス)が大事ですが、企業では過程よりも結果を求めます。つまり求めているもののレベルが違います。

 

次に、コミュニケーション力が低いのは問題かどうかです。最近、ユニークな採用活動で脚光を浴びている新潟のお菓子メーカーの三幸製菓では「コミュニケーション力は、会社に入ってから誰でもそれなりに伸びるので問題ない」と考えています。面接をしない「卒論採用」で有名なチームラボ社では、「当社は技術的な仕事が中心なので、対人スキルが弱い人でもネットで意思疎通が早く出来れば問題ない」と言っています。ちょっと特殊なケースかもしれませんが、これもコミュニケーション力の捉え方の違いを現し、更にその対処法まで考えています。

 

最後に、「コミュニケーション力」の正体が明らかになったとして、それは大学で指導・育成できるのか?という問題です。大学教員は「コミュニケーション」の分析を行い、理論を講義したり論文に著すことはできるでしょう。しかし、そうした教員自身が「企業の求めるコミュニケーション力」を教えられるでしょうか?研究者であり、かつ教育者になりえているでしょうか?それは相当に難しいことで、故に勉強せずアルバイトばかりしている学生が、あっさり内定を取ってしまったりします。

 

こうしたアンケートが出てくると識者やマスコミはすぐに「若者のコミュニケーション力の低下」を指摘しがちですが、「最近の若者は・・・」の前にちょっと注意して考えてみたいものです。

 

参考URL:2016年度新卒採用に関するアンケート調査結果

http://www.keidanren.or.jp/policy/2016/108.html

第339号:米国大統領選から学ぶこと

世界中が衝撃につつまれた米国大統領選挙の結末でした。英国のEU離脱と同様に、大勢の推測とは反対の結果が出たことに驚きです。かつて民主党が政権をとった時と似ているという人もおりますが、なかなか見られないことだと思いますので、採用の仕事の示唆として考えてみましょう。

 

マスコミでは既に今後はどうなるのかという予測や対策に論点が移ってきましたが、なぜ予測が外れたかに着目したいと思います。私見では以下の点があげられます。

 

1.マスコミはヒラリー支持派が多かった

⇒米国の新聞は日本よりずっと政治家の支持姿勢が明確で、殆どがヒラリー支持に回った。

現政権(民主党)との関係からマスコミ側の期待度も現状より高くなった。

 

2.トランプ氏は政治家としては未知数だった

⇒フィリッピンのドゥテルテ大統領と違い、政治家としては初心者でマスコミからは想定外。

強烈な発言も伴い、エリートからはまさか通るとは思われなかった。

 

3.ネット(デジタル)データではすべては読めない

⇒ネットで動く(反応する)人は把握しやすいので、全体的な動きと見誤りがち。

ネット分析や広報が進んでも、投票行動は直接歩いて投票所に行かねばならない。

ジャーナリストの木村太郎氏が的中させたのは、自ら現地取材を行っていたから。

 

4.隠れトランプ派が多かった

     ⇒マスコミ報道の逆効果で、トランプ支持とは言いにくい風潮になっていた。

     選挙結果判明後、私の周りにも「実は俺はトランプ支持だった」という人が出ました。

つまり動態が把握しづらいサイレント・マジョリティが意外と動いた。

そして、不満をもっている人ほど連れだって積極的に行動に出るのはEU離脱と同じ。

 

こうした背景を鑑みると、日本の就職市場がネット経由からダイレクトリクルーティングにシフトしてきている状況と似ていませんか?見える市場から見えない市場への変化です。メディア経由の間接情報から、企業人(採用担当者やリクルーター)経由の直接情報で訴求していくようになってきました。今は企業の採用活動や学生の就職活動がなかなか見えなくなってきています。

また候補を企業に例えるなら、ヒラリー氏はメガバンクでトランプ氏はITメガベンチャーあたりでしょうか。求めるタイプ(支持するタイプ)が違うので、訴求ポイントも違ってきますが、新卒一括採用という現体制を、通年採用、キャリア採用に切り替えていく動きにだんだんと変わっていくでしょう。

 

こうなると採用担当者に求められる資質も(集団形成については)人事労務分野からマーケティング分野に変わります。雇用の流動化が激しい米国では昔から内部労働市場を対象にする仕事と外部労働市場を仕事にするのは似て非なるものです。日本の採用担当者も変革を求められてくるのでしょう。

第338号:電通という企業の特異なところ

大変な事件が起きてしまいましたが、正直「またか」という印象でした。この事件は広告代理店の異常な体質のように思われますが、業界の問題というよりは、私は同社独特の体質から出た問題だと感じています。なかなか実態のわかりにくい世界ですが、私が採用担当者として見ていて不思議に思うことの多い企業でした。

 

電通は最近でこそ巷で知られていますが、かつては特定の上位大学や広告研究会の強い首都圏メガ大学等にしか知られていない企業でした。ロサンゼルス・オリンピックのプロモーションを請け負った1984年頃から段々と一般に知られるようになり、学生人気ランキングにも顔を出すようになりました。そんな電通で私が不思議に思ったのは以下の点です。

 

1.紹介採用が異様に多い

2.圧倒的業界シェアだが、学生人気は2番手。

3.女性転職希望者の多さ

 

紹介(コネ)採用自体は何処の企業でもあり、珍しいことではありません。中小企業となると紹介採用だけで行っているところも多いです。しかし同社のような大企業では一般公募が殆どで、例外的に少数の紹介採用を行うものです。ところが、同社は紹介採用が一般の企業より多いようです(通説で1~2割といわれていて定かではありませんが、内定者から「半分がコネ採用でビックリしました」と聞いたことがあります)。これは同社の事業形態が多くの企業との関係性の中で決まっていく特殊な事情によるものと思われます。官公庁と取引の多い企業が天下りを受け入れていたのと同じです。

 

広告・マスコミは人気業界なので私も多くの学生から相談を受けますが、殆ど学生が第一志望にあげるのは業界2位の博報堂です。売上も社員数も採用数も圧倒的に電通の方が多いので、どんな事情があるにせよ第一希望にならないのは不思議でした。その事情がわかったのは、私がコンサルティング業界に入ってからです。コンサルティング業界は広告代理店と業態が似ていて、個人の力を思い切り発揮したい人が志願することが多く採用選考も何度が高いです。そのため企業との関係性より個人の能力がより発揮しやすいと感じる博報堂の方に集中するのでしょう。

 

私が外資系でコンサルタントを採用する時に、広告代理店もターゲットにしてヘッドハンティングしていました。当然、人数も多く高学歴で優秀な人材がいそうな電通にアプローチしたのですが、不思議だったのは、男性社員がまず誘いにのらないのに女性社員は殆どの方が「話だけでも・・・」と関心を示してくれたことです。これは今回の事件のようなパワハラやセクハラということより、女性が将来のキャリアパスを描きづらい(出世できない)という点にあったようです。

 

つい先日、大学授業にお招きした広告代理店の方が「今回の件が業界全体の慣行と思われては困ります。」とおっしゃっていました。なかなか一般にはわかりづらい世界ですが、これを機会に少しは理解がすすむと良いと思います。それが事件の再発防止にもなるのではないでしょうか。

第337号:院落ちの就活学生の救命採用

急に秋の訪れを感じる気候になってきました。採用担当者も内定式が終わり、やっと一息ついたところですが、落ち穂拾いの仕事があるのもこの季節です。大学院の入試に失敗して急いで就職活動を始めなければならなくなった、いわゆる「院落ち」学生の追加採用です。今ではこうした採用活動に動く企業は減ってきましたが、先月、そうした相談に乗ったのでご紹介しましょう。

 

日本での大学院進学はまだまだ理工系が多数ですが、その中でも国公立や上位私立大学が中心です。学部卒で社会に出るのは、大学の研究に拘らない「文系就職」をしたり、生活環境の事情で大学院進学が困難な学生達です。

 

私が今回の相談を受けたのは、大学院進学が過半数を占める大学で、当然のように進学を予定していた学生さん10名程です。たまたま会議で伺った大学が大学院試験の発表日で、そこで不合格になって真っ青な顔をしておりました。

 

本来、こうした相談は個人の心情を配慮して個別に行うべきですが、今回は状況が切羽詰まっていたので駆け込んできた全員一緒に事情を聴きました。まるで企業の集団面接のようでしたが、それぞれの研究内容や志望先を整理しながら、その会話の中から個人の性格や指向性やコミュニケーションスタイルを読み取っていきました。

 

まったく就職活動をしていない学生達なので、業界研究も自己分析もやっておりません。なので、私の方でいくつかの選択肢(まだ採用可能性のある企業)を紹介し、後日、企業との面談機会を設定しました。大学側の方も、心ある教官の方々が企業に直接あたって紹介先の開拓に奔走してくれました。

 

結果、幸いにも過半数の学生が「院落ち」から1ヶ月以内で内定をとることができました。勿論、学生達の希望が完全に通ったわけではありませんが、社会に出るパスポートを手にすることができたなら、その後のチャンスはまた自分で切り開くこともできるでしょう。内定が取れた学生は、晴れやかな顔をしていました。

 

今回の件で私が改めて思ったのは以下のことです。

1.就活は長ければ良いものでもない。  ⇒メチャクチャ時間効率が良かった

2.選択肢は多ければ良いものでもない。 ⇒選択肢の少ないと覚悟を決めやすい

3.切羽詰まった状況ではカウンセリングより強い指導の方が良い ⇒救命救急隊員の気分

 

最後に今回ラッキーだったのは、なんとか採用窓口が開いていたことです。これ以上早期化すると、採用担当者も動けなかったことでしょう。いくつかの企業に打診した際に良くあったご返事は「担当者としては面談してあげたいのですが、既に選考日程が終わってしまったので・・・」というもの。比較的若くて大局的に判断する権限や意欲のない採用担当者の方々でした。良い人材だったら通年で採ってほしいものですが、新卒採用のあり方、採用活動の早期化について考えさせられた一幕でした。

第336号:厳選採用&リテンション

採用担当者にとっては少し緊張感を伴う内定通知日(10月1日)が近づいてきました。今年は採用選考期間が長くなったので、この時期に内定先を迷っている学生は少ないようですが、リテンション内定辞退者防止策)もしっかりしないと痛い目を見ることがあります。

外資系企業(特にコンサルティング業界)では昔から、集団形成採用選考リテンション3つのプロセスをそれぞれに担当チーム作ってシステマティックに行われてきましたが、日本も採用の厳選化に合わせてリテンションにも力が入ってきました。しかし、一度決定権を応募者に委ねるとなかなか苦労します。攻撃より防戦の方が大変ですから、それが嵩じてオワハラなるものが生まれています。

リテンションというと以前は内定者の懇親会(食事会・飲み会等)を開くのが定番で、IT環境が整ってきてからは企業側が内定者のコミュニケーション促進のためにSNSを提供しますが、あまり有効ではありません。今は個人でSNSやLineを活用することができますし、企業とは距離をおきたい個人も居ります。密かに内定辞退を考えている学生であればなおさらです。そこで最近のリテンションもいろいろ工夫されてきました。例えば以下の様なものです。

・内定者の中で盛り上げ役を作って支援する

内定者の中にはイベントやコーディーネーター役が好きな人が居ます。このような学生は辞退をしない前向き第一志望者なので、「内定者の懇親会を開くなら開催費用(飲み代)を支援するよ」と伝えると、喜んでSNSやLineグループを立ち上げて仕切ってくれます。最近のSNSでは業者が直接に宣伝を流すのではなく、ターゲット顧客の友人が「いいね!」と言っていると間接的に宣伝する手法です。

・選考結果と将来の期待をフィードバックする。

先日、某大手企業のリクルーターの方に今期の内定者の様子を伺ったら「やたら自分の評価を気にする」とのことでした。大学の授業でも同じで、自分のレポートやテストの成績をとても気にします。アクティブラーニングが増えて学生と教員の距離が近づくと、ますますこの傾向は強くなる気がします。

大学教員には「リアクションペーパー」という短い授業感想を書かせる方がおります。教員にとっての「リアクション」は授業内容を学生がどのように受け止めたかという意味ですが、学生の中には教員が自分にコメントに回答(リアクション)をするためのものと思っている者がいます。
(学生目線では一理ありますが。)

なので、採用選考結果(何処まで本当にことを言うかは別ですが)を伝え、更に将来の配属プラン(これも何処まで約束するかは別として)を本人に話します。

手間暇のかかることではありますが、本気で採用したい人物には努力を惜しむことはできません。厳選採用とリテンションはセットで扱うべきもので、収穫した後に丁寧に梱包して鮮度を保ってお客様(配属現場)に届ける高級生鮮食料品のようなものですから。

第335号:期末試験答案とエントリーシートの共通点-論外編

  • 期末試験答案とエントリーシートの共通点-論外編

夏休みも後半となりましたが今回は採点後のちょっとした笑い話で、答案で見た漢字の誤用をご紹介します。真面目に考えると笑っている場合ではありませんが。

▼読みが似ている間違い

「コーチの知事がわからない」⇒貴方のチームに「指示」しているのは県知事か?

「リーダーとして指切らなければならない」⇒約束は指切り、会議は「仕切り」が大事だ。

「即先して行動できる」⇒「率先」なら即戦力になれたかも。

「見内のなかでは」⇒「身内」は確かに見える範囲だが。

▼字形が似ている間違い

「主張には自分の陣をもつべきだと思う」⇒君は戦国大名か?自分の「軸」は大事にね。

「区悪犯による殺人事件の放動を見ると」⇒「凶悪犯」の「報道」だろうね。

「自分の椎格を変えたい」⇒まずは正確に「性格」を把握しよう。

「認耐力は身についた」⇒その「忍耐力」は認め難い。

▼字義が似ている間違い

「部活が急しい」⇒相当に忙しいらしい。

「錠破りなことをした」⇒「掟破り」か?オーシャンズか?

「討議の決論に至った」⇒気持ちはわかるが大事なのは「結論」だ。

▼間違えた理由が謎

「違ちがえた字で違ちがえた表現をした」⇒「間違え」に目がちかちかする表現だ。

「実じつを踏まえて」⇒「事実」は小説より奇なりです。

「悪魔で書き手は人間であるから」⇒あくまで?手書き試験で何故こう書く?

私の期末試験は持ち込み不可の手書き記述式回答)なので、スマホ等での誤変換ではありません。漢字の誤用は昔からありますが、今は誤用というよりは、そもそも漢字の理解の仕方が昔と違ってきているのかもしれません。使う言葉の意味を頭で理解してから使うのではなく、見たり聞いたりした視覚・聴覚の印象で体感的に捉えている感じです。

さて、このように答案採点をしてきて思うのは2020年度入試改革のことです。周知の通り、この改革プランでは記述式問題が課せられようですが、果たして試験官は上記のような誤用についてどのような判定を下すのでしょう。

期末試験採点ならば、教員は教え子に単位を取らせたいという好意的な主観を働かせるでしょう。しかし、大学入試では客観性・公平性が求められ、なおかつ指定された期間内に膨大な処理(採点)をしなければなりません。外部機関(アウトソーシング)や人工知能(AI)による支援も議論されていますが、そうなると主観的な判断より、基本的語句、語彙数、記述量で評価されるのでしょう。こうした誤用が見られるのも今のうちかもしれません。

第334号:期末試験答案とエントリーシートの共通点-3

残暑お見舞い申し上げます。立秋を過ぎて台風シーズンになりましたが、皆様の大学ではご無事でしょうか。この時期はオープンキャンパスで高校生も保護者も全国を移動されますのでご無事を祈ります。

さて夏休みに入り、春学期授業の期末試験を振り返っていますが、改めて答案の書けない学生はエントリーシート(ES)も書けないだろうなあ、と思わされます。逆に言うと良い答案が書ければESも上手に書けるはずです。例えば「分析せよ、論ぜよ」という試験問題の場合、良い答案は「文頭」に、ズレた答案は「文末」に特長があります。試験でよく見る具体例を示します。(教員としても、採用担当者としても、私の採点ポイントのひとつです。)

良い例(接続詞の使い方で論理がちゃんと構成されている)
⇒いわゆるPREP法Point、Reason、Example、Point)

『~は△と△とで構成されており、~は××といえる。

何故なら、(というのは、)~だからである。

例を挙げると、(例えば)~ということがある。

もう一つ例を挙げてみると、~ということもある。

以上のことから、~である。そして、今後は~。』

事実を元に見解を展開するのが「分析」の基本です。これは就職活動で求められる「自己分析」でも同じです。実績に基づかない論じ方は、以下の通り説得力がありません。

ズレた例(根拠のない未来志向は説得力がない)

『~と考えたい。

~のスコアを上げたい。

~と心掛けたい。

~たら良いと思っている。

~に挑戦したい。』

志望動機のように未来への希望を問われているのならともかく、自己分析自己PR)を求められているのに希望的観測を書かれても困ります。試験のヤマが外れても、問われていることに対して論理的に回答している答案は救いようがありますが、この基本ができていなければ不合格です。

ESは奇をてらった能力を見るのではなく、会ってみるのに十分な基本があるかどうかが大事です。名作小説にする必要はありません。基本がない個性だけでは変な人になります。 答案を方程式に例えれば、「公式=基本」「変数=個性」です。数百字の小論文・試験答案・ESはこれで十分対応できると思います。基本をしっかり身につけ、あとは変数(豊かな体験値語るべき事実)を充実させることですね。そうした実績を積み重ねるためにも夏休みはあるのでしょう。

第333号:調整派の経団連と行動派の同友会

経団連は来年の採用解禁日も本年度と同じ6月にする方向で調整していると報じられました。一方で、経済同友会からは「あるべき姿の(長期型)インターンシップ」の提言が報じられました。同じ経済団体でも組織の性格上、社会への発信内容やスタイルが違うところが面白いです。

この2団体の性格の違いは以前にも述べましたが、それぞれのタイプを対比するキーワードを思いつくままに挙げてみると・・・、現実と理想、国内と国際、タテマエとホンネ、形式と実質、慎重と迅速、組織と個人、利益重視と社会貢献・・・ etc.

総じて、調整派の経団連行動派の経済同友会といえるでしょう。なんせ1400社の企業集団(経団連)と、1300人の経営者集団(同友会)です。前者が調整派になるのはメンバーが企業単位であり、経営者とはいえ自社の中で意見を調整してまとめさせていますから。後者はメンバーが個人単位で、経営者が自由好き勝手に発言できますから。調整と行動のスピードに差が出るのは当然です。

新卒採用の倫理については、これまでもこの2団体を中心に意見が出されてきましたが、昨年の採用活動の後ろ倒し(経済同友会的な意見)が今年の前倒し(経団連的な意見)になり、更に来年はまた前倒しにもっていきそうな動きをみて、経済同友会は愛想をつかしたような感じです。いくら議論をしたところで解決されそうもないので、採用活動解禁時期の小田原評定はやめ、その前にある正統派インターンシップについて提言を行い、根本的なところから採用活動の見直しを計らせようという感じです。

このインターンシップについてもまたこの2団体の意見や方向性は異なることになるでしょう。しかし、それはそれで良いのです。というのは、今の経済団体の使命はあるべき姿のモデルを示すことで、全体を統一することではないからです。世間一般の企業(採用担当者)も大学(学生)も、いつまでも高度経済成長期のように同じ成長モデルでみんなが成功するような幻想は捨てるべきです。そうした手法が効果的なのは、市場(人口・経済・学生数)が拡大するような市場であって、それらが成熟して縮小傾向に逆転した現在は、各者各様のスタイルを考えて実行しなければなりません。

経済同友会の提唱する長期型インターンシップの賛同企業は大手企業のたかだか数十社ですが、狙いは模範的な行動を見せることによって、全体に問題提起をすることです。マスコミはよくこの程度の企業が動いただけで、市場全体が動き始めたように報じますが、それは書きすぎです。

たとえば、最近よく使われるようなった用語に「ダイレクトリクルーティング」があります。これも同様で、全ての企業が同じことを行うのではなく、企業が得意の分野をつくって独自路線の採用手法をあみだすことです。だから、ダイレクトリクルーティングは、マスメディアで大きく取り上げられ、みんなが一緒にやるような就活Web型採用とは根本的に違います。

大学生の資質も企業の求める人材も多様化している現在、全体が同じ動きで成功するというのは現実的ではありません。大学の育てる人材も卒業後の進路も時期も、翻って自校独自の方向や手法を考えてみても良いのではないでしょうか。