第423号:「どうなるか」より「どうするか」

とりとめもなく考えた。

来年卒(業界では21卒という)の学生の就活も終わらないままに、再来年卒の学生(業界では22卒という)向けの就活イベントが始まってきた。「夏インターンシップ」という名ばかりの早期の囲い込みが年々盛んになっている。

就活は「卒業前の半年に行うもの」というのは、完全に昭和の昔話になり、今は上記の二世代を同時に相手にすることが、企業採用担当者でも大学キャリアセンターでも当たり前になり、誰も疑問に思わなくなってきた。これもコロナに負けない世界に冠たる新卒就職市場で、世界から見れば謎の現象だろう。

企業採用担当者の会社説明を聴講していると、その内容が千差万別で面白い。感心するほど面白いものもあれば、ネットで見ればわかるものばかりで、来なければ良かったというものものある。採用担当者には「最近の学生は個性がない」と言う方も居るが、意外と世間が見えてなくて、自分自身が他社との相対評価にさらされて没個性と見られていることに気づいていない採用担当者も居る。

学生との質疑応答での定番の質問に「御社の求める人材は?」がある。以前は「コミュ力」「巻き込み力」等々、滔々と語られていたが、最近は「特に求める人材は設定していません」という回答する採用担当者が段々と増えて来た。

おそらく、学生の言う「求める人材」というのは「どうすれば内定者になれるのですか?」という面接での『正解』を求めていることに気づき、嫌気が差してきたのだろう。セミナーをやればやるほど、学生がそれに合わせて染まってくるのが嫌なのだ。求めているのは「生徒」ではなく「学生」なのだから。

そもそも論で語るには、
今の社会も大学も学生もあまりに多様化してしまった。

しかし、本当に多様化しているのか?と自問すると、逆にネット時代になって均一化がますます進んでいる様な気がしてならない。それは昔から気になっている「高度情報化時代」ではなく「高度受け売り化社会」になったことだ。

この多様化と均一化が同時に同じ人間の中に存在しているのが判断を難しくする。思考や思想は大差ないのに、自分の都合は様々だから、そんな人とは益々、付き合いににくくなってくる(そういう人になれたら幸せだろうな、と思う事もあるが)。

在宅勤務では、自分と向き合う読書の時間も取れるが、逆にネットに張り付いている人も居る。自分を取り戻せる時間が、逆に自分を失っていることになった人も居る。

4月からずっとコロナ対応で走り回っていたが、早いもので7月、夏に向かう節目だ。自分はこの3ヶ月、何を残せてきたのか、これからどうなるのか。

いや、とある好きな企業のフレーズを呟きながら頑張るとしよう。
どうなるか」より「どうするか」だ。

第424号:対面&オンライン授業と採用選考

大学の対面授業がすべてオンライン授業に切り替わり、リアクションペーパーも手書きからキーボード(オンライン)に切り替わった。

以前、私の授業を受けた学生は、「それは先生の授業の看板がひとつなくなった(今年の学生は楽になった)」と思うだろう。私の授業でのリアクションペーパーは、求められる量も質も相当にハードだった。何より、他の授業で標準的にある、授業最後の10分での記入時間というがなく、授業中に集中して書き上げないといけないから(授業後の提出は基本的に認めない)。フィールドワークでICレコーダー無しにメモを取る訓練のようなものだ。90分があっという間に終わる。

この二つ(対面&オンライン)は、育成する能力の違いとして捉えており、前者(対面)はリアルタイムに記録・発想する能力で、後者(オンライン)は熟考して再構成・表現する能力だ。だから、後者は手書きやスマホで書くのは非常に効率が悪い。

どちらも社会では必要な能力だが、今の学生はリアルタイムのコミュニケーション機会をどんどん奪われて、音楽で言えばアドリブ演奏ができなくなった。それは失敗を恐れていて、失敗を経験と捉えて応用力を高める機会を失っているということだ。

故に、前者を優先している。後者は他の授業でも学べる力だろう。この授業だけで考えずに、学生が受けるの他の授業を考えて設計することが大事だと思う(この授業でしか学べないことにこだわっている、これは私の性分だ)。

翻って、私の採用担当者時代は、この二つ(GDを入れると三つ)の能力をそれぞれ測定していた。採用選考手法は、単なるバリエーションではなく、評価する能力の違いだ(同じ手法を異なる時間・評価者で行うのは、評価の深掘りとバイアスの修正だ)。

なので、就活で言えば、前者(対面)は面接で、後者(オンライン)はESである。実際、この二つの選考手法は、質問は同じでも、採用担当者の見ている能力は異なる(はずだけど、そこまでわかっている採用担当者はどれだけいるのかは疑問)。

私の授業での好成績者は、おそらく殆どの企業において、初期選考を省いて人事部長面接から入れても大丈夫だと思う。授業を通じての能力開発と評価は、企業採用選考とは比較にならないと自負している(採用選考は時間がないから仕方ない)。就活結果もそれを物語っている。なので、ドロップアウトする者も少なくない。

故に、コロナ前の私の授業では、前者(手書き)はリアクションペーパー、後者(キーボード)は数回のショートレポートで成績評価していた。書き方も、前者は時系列型で後者は因果律型で書き方の違いも理解させていた。

更に、グループ・ディスカッションGD)では異なる能力(組織における対人スキルとグループダイナミクス)を評価し、期末試験ではそれまでの知見を総動員して、指定された時間で構造的な答案を仕上げる力を総合的に見ている。

この授業形態になるまで数年かかっているが、改めて振り返ると上記の通り、私の企業時代の採用選考スキルがベースになっているとわかって感慨深い。

今回のオンライン授業だけの環境は、過去に経験したことのなかったものだが、育成する能力の(比重の)違いだと考えれば、良い授業改善の機会である。新しいノウハウが相当に得られた(京都大学のMOSTで学んだことが、こんなに実践で使えるとは。コロナがなければ使わずに忘れてたかも)。

生き残る者は強いものではなく、変化したものである、というダーウィンが言ってない言説も、ダーウィンを聞き齧った人が言いたくなるだろうなあ、と思う(これは事実と意見の違いを知る良い例だ。今度、授業で使おうか。)。

・・・そして授業(の進化・深化)はまだ続く。