第421号:在宅勤務の雨の日に考える

在宅勤務には20年近いフリーランス業務で慣れているが、常時ネットの向こうに誰かが居るのと居ないのでは、ちょっと感覚が違う(自宅でもネクタイをしてZoomに向かうとか)。日本中が在宅勤務パンデミック状態になっており、こうした経験についても日本社会は学び、対策を身に付けて行かなければ。

コロナの姿がだんだんわかり、長期戦が見えてきた今、人類が学ぶべきはウィルス対策と共に生活対策だ。長い人類の歴史の中で、一般の人がネット環境に対峙する様になったのはたかだかこの30年だ。冷静に考えれば、それが如何に便利で異常で難しいことだとわかる。怖いのは、30年しか生きていない人(生まれながらのデジタルキッズ達)は、この30年が人類の生き方のすべて(普通なこと)だと思うことだ。

そうしたことを、時間に追われず考えられる若者の時間・空間というのが大学というものだ。過去の文献にそうした人類の難題に対する知見は無数に保管されている。最近の焼き直しばかりの、一見わかりやすい表層的な流行本などではない、『「本」物』の本を読むために、この数ヶ月や1年をかけても良いではないか。長い目で見れば、絶対に無駄ではなく、寧ろ学生時代でなければできないことだ。

*多くの大学で殆ど対処されていないのが、図書館の資産をいま如何に止めずに、ネット上で自由に使えるようにするか、という知見だ。著作権対策、技術対策等々、これらをクリアする術が得られれば、コロナ後にも続く素晴らしい文化伝承が出来るはずだ。
(手前味噌だが、東京外国語大学の付属図書館では、学生に対し郵送での対応を他大学に先んじていち早く決めた。)

コロナというものは、そうした人類の試練だと見えて仕方がない。キリスト教が生まれたとき、イスラム教が生まれたとき、それは堕落した人間社会を修正する人類の生活対策だったとも考えられる。

*イスラム教って、宗教というよりライフスタイルのようだ。アラブのプライド高き砂漠の民の質実剛健な点は武士道と似ていて、それが日本と遠く離れた彼の地とのシンパシー(共感)なのだろう。祭り(遊び)の要素が少ないから日本では流行りにくいのだと思う。受容性の高い日本人でもラマダンはやりたくないだろう。欧米では逆に生活に遊びが多いから、質素倹約が新しい文化(生活対策)に映って流行るけど。

授業だって講義をただオンラインにするだけではつまらない。前例がないんだから試行錯誤が最高の武器であり、それを失敗ではなく経験と前向きに考えられる者が本物であり、新たな歴史を作る。(ただ、世間一般に見えるのは「流行本」だけどね。それに気付けるのが大学で学んだ者と、そうでない者との違いなのだ。)

結果、以前のやり方に「加えて」新しいやり方が手に入る。新しいやり方になったら、過去の(良い)やり方を否定するのは「知識・体験」を「教養」にできないということだ。

てなことをつらつら考える雨の日もまた、いとをかし。(^0^)