第374号:自分らしさは無理に考える必要は無い

先日、都内大学のご依頼で「就職活動リターンマッチ」というセミナーを行いました。春先から動いてきたにも拘わらず、結果が出ていない学生を対象としたもので、内定を取れる学生と取れない学生の違いや、採用担当者の目線をお話ししました。企業も学生も好みは様々ですが、共通に求められるもの、共通に嫌われるものはあります。学生と話していて気になったのは「自分らしさ」に拘りすぎるところです。そんなに無理に考える必要はないと思うのですが。

ESや面接の就職相談で「自分らしさ」を上手く表現できないという学生は多いです。キャリアカウンセラーや就職課職員も、よく「自分らしさが出ていない」と学生にアドバイスすることがあります。しかし、採用担当者目線では無理に出さなくても良いと思います。というか、リーダーシップ(リーダーの心構えではなく自主性という意味です)と同様で、本人は気付かなくても「その人らしさ」は自然に現れてしまっているものですから。

最近学生が良く質問する「社風」も似たようなものです。長年続けてきたその業界・企業・社員の行動パターンが社風となって形成されてくるものであり、当の社員は意外と気付いていないものです。なので、転職してきた社員なら感じられますが、その企業だけで生きてきた社員には当たり前のことなので気付きにくいです。

今の社会は情報やサービスが洪水化して、自分で創意工夫しなくても楽に生きられるようになりました。高度情報化社会ならぬ高度シェアリング化社会です。全てが用意されていますから、気をつけないと皆似てきます。そんな時代、社会の中で学生が「自分らしさ」に拘るのは大切なことかもしれませんが、皆が同じ環境・体験で暮らしている中で「自分らしさ」を出すのは至難の業です。文科省が必死に旗振りをしている「トビタテ!留学JAPAN」にでも参加して、普通の日本人学生とは違う経験をしてきたならば自然に他者と異なる「自分らしさ」が出てくるでしょう。

ということで、「自分らしさ」を出すために最も必要なのは表現力ではなく、体験を積むことです。そして採用担当者が知りたいのもそうした「具体的な経験」です。確かに人を採用するには最終的にはその人ならではの理由があります。しかし、それは仕事をする上での「能力」「資質」を発揮する過程での「個性」であり、「自分らしさ」を最初に求めているものではないでしょう。

私は就職相談でも来訪者の学生生活を聞き出して、本人が感じる・アピールしたい「自分らしさ」ではなく、採用担当者として魅力的に感じるその人らしさを見つけて伝えるようにしています。このように「自分的自分らしさ(自分軸)」ではなく、「社会的自分らしさ(他人軸)」をフィードバックする、教えることもキャリア教育でもあると思うのです。社会人がよく口にする「一緒に働きたくなる人」という曖昧な言葉の正体も、こうしたことがわかれば見えてくると思います。

最後にもう一つ。自分らしさを出したいなら基本を踏まえた上での自分らしさにして欲しいものです。周りを見ずに自分らしさに没頭したら、自分が如何に個性のない体験と話し方をしているかにも気付けません。基本の上にある個性こそ採用担当者も知りたいです。これは専門家とヲタクの違いと同じで、基本のない自己流は自分ヲタクにすぎませんから。