早いもので、大学の春学期も終盤になりました。今年度の大きな変化は4年生が教室から姿を消したことです(私の担当する必修単位ではない科目の場合です)。4月の頃はわりと見かけたのですが、GWを過ぎるとチラホラとなり、6月に入ってからは皆無となりました。こうしたシーンを見ると、私が就職活動をしていた30年前と同じになったなあ、と感じます。時代は新しい方向に向かっているのでしょうか、繰り返しているのでしょうか。
私が社会人になったのは、1984年のことです。当時の就職活動解禁日は10月1日でしたから、今よりもう少し遅いです。私は4年の春学期まで運動部を続けていたので就活を始めたのは夏休みに入ってからでしたが、気の早い学生はGWの頃から活動を始めて6月には早々に内定を手にしていました。当時の多くの学生は「4年になったら就活で忙しくなる」という意識でいたと思いますので、卒業に必要な単位は3年までにとっておいて4年は必須の科目とゼミだけにするという戦略が多かったと思います。
なので、4年になったらできるだけ企業訪問ができるような体制(単位取得状態)にしておくというのは、今求められる状況と似ていると感じます。また、当時はネットや大規模な就職セミナーは今より少なかったと思いますので、学生が企業とコンタクトするのも個別に電話したりOB訪問したりで、今のターゲットリクルーティングのような個別対応と似ています。
逆に、以下の様に今の学生と違うところも多いです。
1.情報が少ないのであまり不安にならない。(能天気になれた。)
2.人と比べられて評価される事になれている。(受験地獄時代だった。)
3.大学単位取得が楽だった。(お上があまりうるさくなかった?)
これらの現象がなくなった背景には、当時にはなかった社会の構造的変化があります。それぞれ、ネット社会の発展、少子恒例社会の到来、大学教育の改革ですね。当時としては想像し難いことでした。このように、現象面では似通っていても、その原因が同じか違うかは注意してみる必要があります。それに気付かないと「昔は良かったなあ」「最近の若者は」という懐古主義になってしまいます。
4年生が教室から消えたとしても、社会に飛び出てそれまで学んできたことが、役に立つ・役に立たない、ということに気付いた、というのであれば、それは自主的なキャリア学習とも言えます。
秋学期になって4年生が教室に戻ってきたとき、笑顔で就活体験を語ってくれたなら、この春学期の欠席状態は、決して嘆くべきことではないと思います。(もっとも、秋学期に出てくる4年生は、単位不足で焦っている学生の方が多い気もしますが。)