第290号:論文不正問題で考える成績評価

ノーベル賞の発表と同日に早稲田大学で小保方晴子氏の博士論文不正問題についての結論が出されました。この事件については既に様々な議論がなされておりますが、私が学生として、採用担当として、そして大学教員として感じたことを述べてみたいと思います。

 

科学的な視点でのSTAP細胞の存在の是非についてはまったくわかりませんが、大学と大学院で学んだ学生の端くれとして、今回の判断手続きはあまりにも不可思議です。単純にこの博士論文が、修論や卒論や期末テスト、更に日常的に求められる授業でのレポートだとします。もし学生が清書した論文やレポートではなく、不注意で書きかけの原稿を出してしまい、数週間後に気づいた時、大学側は再提出を認めてくれるでしょうか?それも本人が申告したものではなく、大学側が気づいた場合に。

 

それが許されるのだとしたら、学生は「とりあえず」締め切りまでにダミーを出しておき、後日、「先日のものは間違えでした」と差し替えることが可能になります。ここで問題なのは、この当事者の学生の行為だけではなく、真面目に締め切りを守った多くの学生に対して大学がアンフェアな行為をしていることです。勿論、私の知る限り、何処の大学でもレポートの提出締め切りはおそろしく厳格で、フェアな対応だと思います。だからこそ、余計に今回の件の特別扱いが納得できないのです。

 

採用担当者として考えてみた時、すぐに浮かんだのは「まあ、大学の権威(博士)なんてそんなものだね」「どうせ大学成績なんて期待できないんだから」といった少し醒めた見方です。前回のメルマガで書いた通り、ドクターの世界というのは日本の企業社会から見ると理解不能なものです。確かに最先端の研究をしているメーカーにとっては優秀な研究者は必要ですが、それがアメリカと同じくらいに求められるだろうというドクター1万人計画になり、そしてそれが原因のポスドク問題になり、それは日本企業のグローバル化が遅れているからだ、企業の雇用責任だと言われても困ります。

 

つまり、採用担当者としてみるとこの問題は結局、大学というコップの中の騒動で、採用選考では学生に騙されないように気をつけよう、学校名や肩書きに左右されないようにしようという「他山の石」に過ぎません。

 

最後に、大学教育者として改めて思ったのは「成績は真摯に付けよう」ということです。成績採点後、どの学生から問い合わせがあっても根拠を示して明確に説明できるようにしておくことです。ちなみに、私の授業では毎回の出席票(リアクションペーパー)と期末テスト・レポートとの積み重ねで採点しており、学生から問い合わせがあった場合も、各点数を伝えながら総合的な判定を伝えています。毎回のリアクションペーパーも可能な限りコメントを付けて授業中に返却しています。

 

今回の論文事件は早稲田大学だけの問題ではなく、大学界全体の信頼に関わる問題と捉えるべきだと私は思っています。大学教員として信頼される成績・学生・カリキュラムをまた一つずつ作り上げなければと。「就活後ろ倒し」で地に足の着かない学生に、ちゃんと地に足を付けて勉強する時間を貰ったのだから、来たるべき日に備えた力をつけてやりたいと思います。

 

第289号:ドクター採用の難しさ

3人の日本人研究者のノーベル物理学賞受賞はとても喜ばしいことですね。しかも今回の受賞のポイントになったのは、伝統的な研究のための研究ではなく発見の社会貢献度ということであり、この3人の研究者に共通の社会に対する関心の高さは技術国日本の誇りだと思います。

 

今回受賞された3名の研究者の印象をメディアから察すると、三者三様の個性の違いが面白いと思いました。最年長の赤崎勇氏(85)は、絵に描いたような滅私奉公型の研究者で、社会のために真理を追究する事を天命と考える公務員の鏡のような方です。私が企業時代に技術開発を委託していた帝大系の教授によくあるタイプです。とても素晴らしい研究成果を惜しみなく発表されるので「それは特許をとった方が良いですよ」とお伝えしても「いやいや、私はそうしたことに興味はありません。」という研究者です。

 

中村修二氏(60)は、既に多くの方がご存知の通り、出身企業との特許訴訟で争うような主張の強い個性の人です。渡米されて向こうの水が肌にあい日本社会の問題を強烈に指摘されておりますが、こうした研究者も日本の大学では多く出会いました。私の居た企業で主催した技術研究会で、10対1になっても一歩も引かず、多くの方から変人のように言われておりましたが、数年後にその研究者の考えていたことが理解されはじめた、ということがありました。

 

最後に、天野浩氏(54)は、先代の偉大な教授の影で支えながらコツコツ頑張るタイプです。かつての助教授のポジションで実績を積みながら、教授に代わって研究室の切り盛りを行い、後輩達にもフレンドリーに接してくれます。赤崎氏のような偉人から見れば「現代っ子」と見られがちですが、内心には期するものを持っている「オタク」型といえるでしょう。研究室を訪問すると、いつも丁寧に対応をして下さるタイプです。

 

このように優秀で個性的なドクターが日本の大学にも大勢おられますが、さて、企業の研究開発者として是非、採用したいと思うかどうかは微妙です。1980年代までのように、多くの企業が中央研究所を創設して基礎研究に取り組んでいた時代ならともかく、今は選択&集中投資の時代です。企業のコアとなる研究分野以外は自社内で行わずに、大学と共同開発や委託研究を行うアウトソーシングの時代です。その結果、特定の専門分野に深いドクターの採用はリスクが高くなり簡単に採用できません。ドクターは特定の専門分野だけではなく、幅広い汎用性をもった真理探究者である(どんなことにも取り組める)と言われますが、企業採用担当者が面接の現場でドクターを見ていると、どうしてもそう思えない方々が多いです(採用担当者に見る目がないだけかもしれません)。

 

というわけで、私はドクターの日本企業での採用は、今後もあまり進まないのではと思います。こうした個性溢れる研究者は、窮屈な企業より伸び伸び動ける大学の方がきっと居心地が良いでしょうし、そうした研究者との雇用以外の付き合い方を考えるのが採用担当者の仕事です。ドクター1万人計画やキャリアコンサルタント5万人計画のように、数値を先に決めるのではなく、社会変化と人材特性をみて、お互いがハッピーな社会・関係を考えるべきだと思います。