この夏、中教審から「大学院では修士論文を必須の修了要件にしない」という提案が出され、文科省で要綱として策定されました。大学教員からは嘆かわしいことであるという声を多く耳にしましたが、企業採用担当者にとってはそれほど大きなインパクトには見えなかったようです。論文作成を通じて学生の学ぶものが、企業で求めるものとは異なると感じているからでしょう。このズレは、学生にとっても企業にとっても非常に不幸なことだと思うのです。
私自身、論文作成を経験してみて様々な能力が身に付くことがわかりました。大きな課題に取り組むための長期の計画性や忍耐力、論拠を提示しながら説明する客観性や文章力、そして口頭諮問におけるプレゼンテーション力等、様々な能力が開発されます。しかし、それ以上に驚いた発見は、学部学科や教員によって評価基準と指導方法が全く異なることです。当然ながら、育成される学生の経験値や資質も異なり、結局、就職活動において論文作成をアピールできる学生とできない学生に分かれてしまいます。
もしも形式重視の教員に指導されたならば、文章のお作法や手続きについてカッチリした論理性や秩序を重んじる資質が身に付くでしょうし、もしも発想重視の教員に指導されたならば、形式よりも斬新なアイデアや感性を重んじるようになるでしょう。指導方法についても、定期的に報告を求める教員と必要な時にだけ指導する教員とでは、学生の計画性や自主性についても差が出てきます。
一方、面白いもので、大学でしっかり勉強して論文もしっかりまとめてきた採用担当者は、面接において勉強内容について質問することが多いです。採用担当者は、面接において自分のもっている判断基準(経験値)によって判断するからです。私自身も法学部出身だったので、法学部の学生の面接は私が全員を担当して勉強している学生かどうかを見極めておりました。
ところが悲しいかな、(文系学生の採用選考では)このような勉強内容を中心に深く質問する採用担当者は少数派です。多くの採用担当者は、学生時代に勉強が苦手で判断基準をもちえなかったか、勉強以外の要素を重視しているからでしょう。論文作成については、早期化の影響でまだ質問できる時期ではないということもあります。採用活動を遅らせると論文作成に支障がでるという大学関係者もおられますが、私は反対で、勉強の集大成である論文作成について質問できない時期に面接を行う方が大学教育軽視だと思います。
多くの採用担当者は「最近の学生が面接で語る頑張ったことは、アルバイトとサークルばかりだ。」「最近の学生は勉強についてまず語らない。」などと嘆いています。しかしそれは逆で、採用担当者が聴かないから学生が語らない(勉強しない)のかもしれませんね。となると、日本の大学生に勉強して貰うには、しっかり論文を書いて貰うには、まずは企業採用担当者に大学院に入学して貰って勉強して戴くのが先決かもしれません。
やぶ蛇になってしまいましたが、採用面接で優秀な成績の学生を何気なく褒めたとき、その学生が満面の笑顔になって「初めて面接でそんなことを言われました。」と迷わず入社を決めてくれたことが忘れられません。勉強だけが大学ではありませんが、もうちょっと勉強について面接の話題にして欲しいと思うこの頃です。