「学校名不問」という言葉がもてはやされる日本の採用選考活動は、人物重視といわれています。いま主流のコンピテンシー面接では応募者の能力や資質を理解するために過去の経験を丹念に尋ね、その成果や取り組み方によって人物を判断するわけです。その意味では、頑張ったことは何でも良いのですが、どうも最近はそれでは危なくなってきた気が致します。
採用選考では、「落とす理由」と「通す理由」があります。前者はグループ・ディスカッションで見られるような組織内での消極性や面接で感じるコミュニケーションの違和感等、当然に期待されている知識や常識や対人スキル等です。後者はその学生が他者と比較してぬきんでている能力・資質で、わかりやすく言えば、TOEIC900点を持っている等の事実です。(逆に英語がまったくできないとなると落とす理由になりますが。)
面接において、学生生活において一番、頑張ったことを尋ねると、もっとも多く出てくるのはアルバイト経験で、次はサークル活動です。(残念ながら勉強をあげる人は非常に少なくなってしまいました。)そのアルバイト経験について詳しく問うてみると、かなり内容が似ているので、採用担当者にとってはそれで差を付けることは難しくなってきました。似通った経験は「通す理由」ではなく「落とす理由」になってしまうからです。上記のTOEICや資格についても、その実力が多くの人と似通ったレベルなら「通す理由」にはなりません。
翻って、世の中のアルバイトを見てみると、その多くは労働収益的で似通ったものです。アルバイトが20年前と異なるのは、その内容が正社員と非正社員の仕事とに明確に分かれてきた点です。以前であれば正社員の多くいる職場に非正社員(学生アルバイト等)が入っていけたわけで、正社員と非正社員の仕事の違いを大きく感じることができました。ところが今は、少数の正社員が多数の非正社員を動かして仕事をするようになってきて正社員の仕事が感じにくくなってきています。それは大規模チェーン展開の業界(家電量販店、ファミリーレストラン、ファーストフード店、コンビニエンスストア etc.)を見ればハッキリしています。
結局、今の学生を非個性化している一因は、こうした業界が学生を主戦力にするようになってきたからではないでしょうか。そして学生は、こうしたアルバイトを通じて生活環境(ライフスタイル)を身に付けていきます。
この点をリアルに感じさせられたのは、今春の学生の授業の受け方です。震災の影響で多くの大学は開講時期を遅らせました。新入生は入学した途端に暇になってしまい、アルバイトを探し、GW明けの授業開校時にはアルバイトのシフトに組み込まれてしまいました。つまりアルバイトによって生活のペースメーカーができてしまったのです。そして、「アルバイトがあるから授業に出られない。」という自分に対する大義名分を身に付けてしまったようです。
こんなわけで、授業や就職ガイダンスで、「何でも良いけれど頑張りなさい」と言ってきた私ですが、最近はちょっとこの言葉を飲み込み、こんな言葉を言うか言うまいか迷っています。「頑張ることはしっかり選んで取り組みなさい。それが貴方の将来を決定します。」