第67号:電車事故を機会に考える

尼崎の電車事故については学生の方の被害者も多く、ご関係者の方々には深くお悼み申し上げます。既に多くの報道がなされているとおり、この事故からは当該企業のモラルや組織文化だけではなく、日本社会の問題も浮き彫りにされておりますが、少し考えてみたいと思います。

・組織独特の文化:

どこの企業も事業内容や属する業界や取引先の影響を受けております。ベンチャー企業においては公共性の高い事業よりも遙かに個人の意見や意志決定を求められますが、後者においては独自性よりも組織の目的(ここでは公共の目的を達成するための組織目的であり、営利目的のことではありません)が優先され、規則正しく行動することが求められます。前者も後者もどちらが良いというものではありません。ただ、今回の当該企業では民営化になって従前の組織文化からの切り替えの際、守るべきことと、変えるべきことを忘れたのだと思います。特に大企業ほど組織における行動パターンや従業員の意識は簡単に変わるものではありません。

当該企業の社長の嘆きの声は現場に届いているのでしょうか?同様に、学校長や総理大臣の声が、職員や学生や国民にちゃんと届いているのでしょうか?

・知らない間に鈍感になる現代:

「みなさん、中におられる人はみんな一生懸命やっておられたよ。その人たちを責めたってしゃぁないわけでしょ。みんな、あなた方含めて日本の社会のゆるみがこういう事を起こしているんですよ。私もそうかもしれんけど。誰かを責めて、責めて済む話じゃない。何もかもがゆるみきった社会がこの犠牲者ですよ。」

ご遺族の方の重い言葉です。とかく他人に無関心になって自己中心的になりがちだったり、とかく自分で判断しないで誰かに意志決定をして貰ったりしがちな現代社会の危険がここにあります。

学生は自分の意志決定を無意識に誰かのせいにしていないでしょうか?キャリアコンサルタントは知らないうちに自分の考えを学生に布教していませんでしょうか?

・情報の発信責任:

今回の事件ではマスコミ(記者)の報道姿勢も問題視されました。マスコミに就職した途端、その人の個人の意見があたかも公共の代表になってしまう危険性を、どれだけの関係者が意識されているのでしょうか?少し前の放送局とIT企業の闘争では、メディア軽視のようなマスコミ報道もされていましたが、公共性・中立性を訴えるマスコミが(特に当該企業は鮮明に)ほぼ一色な報道をしていたことに気づいていたのでしょうか?

企業セミナーで、社員は自社のアピールを致しますが、私たちはどれだけ他社や他業界のことを知って自社の優位性を説明できているのでしょうか?(企業セミナーは営利目的なのでマスコミと報道とは同一には語れませんが、学生に与えるインパクトは大きいです。)今回の事故当該企業に限らず、社外のことを知らないで自社のことを語ることは恐ろしいことです。

今回の事故をもとに我が身を振り返ってみることが、犠牲者の方々への大事な供養だと考えました。改めてお悔やみ申し上げます。

 

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